2012/1/4 Release

アノヒトに聞きました

MireyHIROKI/ミレイヒロキ
ミレイとヒロキの2人の人間でありながら1人の芸術家、ミレイヒロキとして活動。クレヨンを画材とした独自のタッチにより高い評価を得る。LOVE&PEACEプロジェクトを立ち上げ「環境・心」などをテーマに作品を制作。ミッキーマウス生誕75周年のための絵画制作、イサムノグチ「AKARI」とのコラボレーションなど。2007年からは表参道ヒルズ、渋谷交差点、京都鴨川、赤坂サカス、大阪梅田、東京タワーなど日本各地をキャンバスに大規模な作品「100UMBRELLAS」を発表。2010年ニューヨーク・セントラルパークで行われたJAPAN DAY 2010公式アーティスト。
MireyHIROKI公式サイトはこちら


藁半紙にクレヨンで花を描かせるために、
芸術の女神が「必然的な貧乏」を仕組んだんです。


クレヨンで花を描いたとき、芸術家が天職だと感じたのですか?

「『文房具としてのクレヨン』によって、
ミレイヒロキは世界に認められるアートを
獲得できたのだと思います。」


ミレイヒロキさん
©MireyHIROKI

世界を舞台に活躍するミレイヒロキさん。
アメリカで出会った2人が1人の芸術家になることで、
世界中の人の心に一輪の花が咲き始めました。
「必然的な貧乏」をくぐり抜け、
クレヨンを通じて
日本人としてのアイデンティティを発見した
現代アーティストに迫ります。


編集部 ミレイヒロキさんは、
「2人で1人」の現代アーティストとして活動されています。
女性のミレイさんと男性のヒロキさんが
「花」を重要なモチーフとして
一つの作品を創り上げていらっしゃいます。
まず、どうして「花」なんでしょう?
ミレイ
ヒロキ
(以下MH)
もともとふたりはアメリカのロサンゼルスで
ばらばらに作品を創っていました。
やがて同じアトリエで創作活動を始めましたが、
はじめのうちはそれぞれがそれぞれに
自分の作品を創っていました。

また、アメリカを生活の拠点にしながら、
MTVのメークアップやスタイリストのアシスタントをしたり、
大学の映像科の人たちといっしょに撮影をしたりと、
さまざまな活動をしていました。
そうした作品制作との関わりを通じて、
「自分のやりたいことを白い紙に描くこと」
がすべてのベースであることに気づいたのです。

彫刻家、映画監督、脚本家は、
まずイメージを絵に描いたり、コマ割りをすることから始めます。
私たちはクリエーションの仕事について、
専門的な勉強をしたことはありません。
学校ではなく、すべて現場で学んでいったんですね。
その中で、絵の上手下手ではなく、
「自分が伝えたいことを白い紙に落としていくこと」
が最初のスタートとなったのです。
そこから油絵やミックスメディアなど、
多様な表現方法にチャレンジしていきました。

ただ、アーティストとして生活をしていると、
必然的にど貧乏になっていきます。
やがて思うように画材が買えなくなりました。
そのときアートストアでいちばん安く買えるのが、
24×36インチサイズの藁半紙だったんですね。
藁半紙が50枚、100枚単位で売っていて、
とにかくそれがいちばん安かったわけです。
編集部 藁半紙ってちょっと懐かしいですね。
小学校のテストを思い出します。
MH それで巨大な藁半紙を買ってきて、
日本から持ってきていた16色のクレヨンを使って
ふたりで絵を描き始めたんです。
それがミレイとヒロキのはじめてのコラボレーションでした。
そしてそのとき、
ごく自然に出てきたのが「花」だったんです。
ヒロキ
ヒロキ氏

編集部 直感的にふたりが花の絵を描き始めたんですね。
MH 私たちはポップなものを創っていますが、
実はとても絵画のアーティストなんです。
もともと絵画で世界デビューして、
絵画が評価されることでこれまで芸術家としてやってきました。

はじめてふたりで描いたのもクレヨンによる花の絵画でした。
完成した一作目を自分たちで観て、
「これはちょっとすごいね」ということになりました。
そこから1ヵ月ほどかけて、
何十枚もの花の連作を一気に描き上げたんです。

そのときですね、
「プロのアーティストとしてやっていこう」と決めたのは。
なんの根拠もありませんでしたが、
一生アーティストとしてやっていこうと思ったんです。

それから私たちの場合、
すべて独学でやってきたことがプラスになりました。
アメリカには週一回、美術館が無料の日があって、
私たちはものすごいコレクションをがんがん観てまわりました。
でも専門的な知識は持っていなかったので、
どのアーティストの作品も、
自分たちとは違う手の届かないものとして
観ることはけっしてなかったんです。
編集部 天才と自分を比較することなく、
ある意味、素直に観ることができたのですね。
MH 天才と自分を比較していたら、
芸術に入っていくための勇気がなくなっていたかもしれません。

美術館に通って最初に絵画の見方がわかったのは、
ジョアン・ミロの作品でした。
真っ白なキャンバスに、
ミロが配置した一本の線がひゅうっと見えるような感じでした。
その線は絶対的なものなんですね。
どこにもずらすことができない。
それが直感的にわかったんです。
編集部 パーフェクトな配置。
MH そう、パーフェクト。
「これがアートの見方なんだ」ということが直感的にわかって、
それはものすごくいい体験でした。

そうは言ってもそこから10年、20年、
相当にきつい思いをしました。
1993年、20代半ばのときにフランスで賞をもらってデビューして、
そこからプロになったのですが、
受賞とプロデビューはまったく別の問題ですから。

あのころは人とコミュニケーションすることなく、
ふたりだけの世界で創作活動をしていました。
アトリエで徹底的に作品制作する期間が10年ほどありました。
ほかの誰ともほとんど会話をしない、長い時間。
20代はアートといっしょに引きこもっていたという感じです。
ミレイ
ミレイさん

編集部 話をもどしますが、
ミレイヒロキとして花を描いたことで
芸術家が「天職」だと感じたわけですよね。
MH たぶん、そういうことでしょうね。
作家というものはモチーフの発見に延々と時間を費やすものです。
ところが私たちは「花」というモチーフを早い時期に発見できた。

自分たちのストーリーを思い返してみると、
「必然的な貧乏」だったのだと思います。
芸術の女神が私たちにアイデンティティを発見させるために、
あらかじめ貧乏を仕組んだんですよ。
藁半紙にクレヨンで花を描かせるために、
必然的に貧乏が用意されていたんです。

ところで「なぜ、クレヨンだったのか?」ということが
私たちにとっていちばん大きな疑問でした。
その疑問をつきつめると、
「自分の足もとを見つめろ」というところまで
思考が行き着くんですね。
日本人として芸術で世界に勝負をかけるのであれば、
根本的なアイデンティティを見つけなければなりません。
そこで、日本から持ってきた「クレヨン」にぶつかるわけです。

クレヨンを選んで絵を描いて賞をもらうことになった。
油絵やアクリルでは世界に通用しなかったかもしれない。
やっぱりクレヨンなんだ、と。
そこからクレヨンについて、自分なりに調べ始めました。
編集部 クレヨンを思索する旅が始まったわけですね。
MH クレヨンはもともと大正初期に、
フランスからアメリカ経由で日本に入ってきました。
当時、長野に山本鼎(やまもと かなえ)氏という
自由画教育運動や農民美術運動を始めた
版画家がいました。
彼がキーパーソンとなって、
クレヨンが自由画に使われるようになり、
やがて学校教育へと結びついていきます。
教育と結びつくことで、
日本人がはじめて手にする画材はクレヨンになったのです。

調べてみると私たちより上の世代の芸術家、建築家、作家は、
こぞってクレヨンに関するエッセイを書き残していました。
私も自分なりにクレヨンについての論文を書いてみました。
タイトルは「世界では画材、日本では文房具」です。
編集部 ああ、確かにそうですね。
私たち日本人にとって、
クレヨンは画材というよりも文房具。
MH 「文房具というカルチャー」がとても重要なんです。
子どものころ唯一、親からすんなりとお金がもらえて、
自由に選ぶことができたもの、それは文房具だったでしょう?
その感性が日本人独自の美的センスをつくりあげ、
世界に通用する芸術家や建築家を生み出していった。
それが論文の主題です。
編集部 それはとても面白い視点ですね。
MH 文房具というカルチャーが、日本人のデザインセンスを生んだ。
もしも当時、クレヨンが百貨店だけで買える画材だったとしたら、
手に入れられる人の数は限られていたでしょう。
結果、独創性を獲得できる人の数は
もっと少なくなっていたはずです。
つまり、子どものころ町の文房具屋さんで
気軽にクレヨンを買うことができなかったとしたら、
世界に太刀打ちできるアーティストは
日本から出てこなかったかもしれません。

ものごとがフラットになっている今の世界において、
「文房具としてのクレヨン」にたどり着いたからこそ、
ミレイヒロキは世界に認められるアートを
獲得できたのだと思います。
ミレイヒロキ

編集部 2011年12月27日〜2012年2月7日まで、
東京・青山FIAT CAFFÉで開催されるフラワーイベント
「Share Flowers(シェア フラワーズ) 花でつながる、花で広がる」
に、ミレイヒロキさんは参加されます。
FLOWERアート&デザイン協会(FADA)と、
イタリアを代表するカーブランド「FIAT(フィアット)」の
コラボレーションによって生み出される新空間プロジェクトです。

そこではFADA会長を務めるフラワーアーティスト、
MASSA NAKAGAWAさんと、
花の作品を創りつづける現代アーティスト、
ミレイヒロキさんのコラボレーションが実現します。
参加はどのように決まったのですか?
MH 東日本大震災後の2011年4月、表参道ヒルズで開催された
FADA協賛の「ROOTOTEチャリティーイベント」に
参加させていただき、MASSAさんといろいろな話をしました。
「花を咲かせる」という共通認識のもと、
「いつか正式なコラボレーションをやりたい」
という思いをお互いに持ちました。
その思いがとてもいい形で実現することになったのです。

2011年から2012年にかけて、花によって未来へ気持ちをつなぐ
「シェア フラワーズ」というテーマのもと、
FADAとコラボレーションできたことはとても光栄に思います。
FADAのみなさんが取り組んでいる
花を活ける、フラワーアレンジメントを創ることは、
とても素晴らしい芸術的な行為だと思います。
今回のイベントを通じてみなさんといっしょに、
日本中に花を広げていけたらうれしいですね。
ミレイヒロキ
ミレイヒロキさん、フラワーアーティストMASSA NAKAGAWA氏とのコラボレーションプロジェクトの作品を製作中。

編集部 生の花と絵画の花のコラボレーションによって、
新しいエネルギーが生まれるのではないでしょうか。
MH MASSAさんは生命のあるものによって表現します。
私たちは描くことによって、
生きていないものに永遠の生命を与えます。
瞬間的な芸術、永遠を生む芸術の融合は、
「未来に向けて、とても価値のあるものだ」
という気持ちを私たちは持っています。

ミレイヒロキは世界共通の「LOVE&PEACE」の
メッセージとともに、
2004年から「世界中の人の心に一輪の花を。」
というタイトルで活動してきました。
私たちのタイトルをストレートな言葉に置き換えるとすれば
まさしく「シェア フラワーズ」という言葉がぴったりです。
フラットな感覚で、気軽に観に来てもらいたいですね。
花を共有して、みんなに楽しんでもらいたいと思います。
ミレイヒロキ


「世界中の人の心に一輪の花を。」
ミレイヒロキさんが発信しつづけてきたメッセージは、
今を生きる私たちの気持ちに、すっとしみこんでくるようです。
後編は「芸術とビジネス」について。お楽しみに!



                                つづく


●お知らせ
ミレイヒロキさん、フラワーアーティストMASSA NAKAGAWA氏のコラボレーション企画が楽しめるフラワーイベント、Share Flowersは現在開催中です!

FLOWERアート&デザイン協会主催のフラワーイベントが開催

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