2011/4/06 Release

アノヒトに聞きました

浅葉克己(あさば・かつみ)
1940年神奈川県生まれ。桑沢デザイン研究所、ライトパブリシティを経て、1975年浅葉克己デザイン室を設立。サントリー「夢街道」、西武百貨店「おいしい生活」、武田薬品「アリナミンA」など、数々の広告を手がける。民主党ロゴマークを制作。日本アカデミー賞、紫綬褒章など受賞多数。卓球六段。2008年に21_21 DESIGN SIGHT「祈りの痕跡。」展を開催。同展の空間デザインと出品作品「浅葉克己日記」で2009年ADCグランプリを受賞。ICD国際カラーデザイン協会会長。
浅葉克己デザイン室ホームページはこちら


生まれてきた「環境」から得たもの、
「時代」に呼ばれること。


自信を持つために、なにをすればいいのでしょうか?

「模写することで、尊敬する人たちになりきる。
その中から自分のものを見つけていく。
やっぱり『訓練』がいいんですよ。」


浅葉さん

タイポグラフィ、アドバタイジング、アートディレクション
という3本の軸からクリエイティブを極めた
アートディレクター、浅葉克己さん。
数多くの名作コマーシャル、ポスターを制作してきた
デザイン界の大御所が語る「天職」とは?
少年時代から続く道のりの中で、
「訓練」によってつかんできたものがあります。


編集部 日本における広告、タイポグラフィの第一人者、
浅葉克己さんに、お仕事を中心としたお話を
うかがいたいと思います。
いきなり大きなテーマですが、
「天職」についてどのように考えていますか。
浅葉 まず一つには、自分が生まれてきた「環境」がありますよね。
僕の生まれ故郷は鎌倉時代の国会図書館、
神奈川県の金沢文庫です。
称名寺というお寺には絵画や書、仏像があって、
そういう場所がいつもの遊び場でした。
振り返ってみると、美術の環境が身近にあったんです。
それについてはけっこう運がよかったのかな、
という感じはありますよね。

もう一つは「時代」ということがあります。
僕は海のそばで育ったから、
「船乗りになりたい」と思っていたんですね。
三崎の水産学校に行くと、6人乗りの船長になれるんですよ。
港ごとに女がいてさ、世界を周れるじゃないですか。
そんな人生を一応、目指していたんですけどね。
編集部 諸国漫遊記(笑)。
浅葉 そうそう。だけど中学校の先生がね、
「お前は身体も小さいし、船乗りは無理だ」って言うんですよ。
「それより絵がうまいから、いいところを教えてあげる」と。
それで県立神奈川工業高校の図案科を薦めてもらったんです。
だから15歳でデザイン、そのころは図案でしたけどね、
今いるこの世界に入ったんです。
そのときから一気にここまできてしまったという感じがします。

結局は、時代が呼んでいたのだと思うんですよ。
1964年という大きな時代があって、そこで日本が開花しました。
東京オリンピックがあって新幹線もできてね。
そんな時代と自分の選んだ世界が重なっていった。
編集部 中学生の自分が歩み始めた道と、
時代のダイナミズムがリンクしていったんですね。
それにしても中学校の先生の言葉は、大きかったですね。
浅葉 だからね、先輩の話というのは、ちゃんと聞いたほうがいい。
先輩たちは必ず心配してくれて、
いろいろな場面でひとこと言ってくれるものです。
そのおかげで手から入っちゃいましたから。
15歳で覚えた手技。それがよかったんでしょうね。

フランスのサルトルやカミュの本の影響で、
高校を卒業したら大学で哲学を勉強したい
という気持ちもあったのですが、
やっぱり手技のほうがきいちゃっててね。
神奈川工業高校は
3年間でいっちょ前のデザイナーにしてしまう学校だったから。
それで赤灯台と呼ばれた横浜の百貨店、
松喜屋の宣伝部に入社しました。
そこで1年間勤めてから、
もう1年経験を積んだほうがいいということで、
桑沢デザイン研究所に入ったんです。
編集部 そこからいよいよ、
仕事の世界が広がっていくことになるのですね。
浅葉 それまでに僕のベースには
佐藤敬之輔先生から学んだタイポグラフィ、
つまり文字の設計がありましたが、
桑沢デザイン研究所 にはいろいろな先生がいて、
彼らから新たに触発されることもたくさんありました。
たとえばイラストレーションの世界があって、
タイポグラフィとうまく絡み合っていったんですね。
1964年にライトパブリシティに入社してからは
広告中心の仕事になりましたが、
それまでにやってきた基礎造形を全部活かすことができました。

当時、日宣美(日本宣伝美術協会)の公募展があって、
そこで入選しないと一人前のデザイナーになれない。
ひとつの登竜門だったわけです。
僕はライトパブリシティに入社して次の年、
1965年に特選を取ることができて、
そこから一気に芽が開くことになったんです。
そのときは「やったー!」という感じでしたよね。
浅葉さんの代表作となった「おいしい生活」
浅葉さんの代表作となった「おいしい生活」
編集部 ご自身の才能というものに対して、
確信は持っていましたか。
浅葉 デザインにはやはり自信を持っていました。
それがうまく時代とリンクしていったのだと思います。
編集部 自信を持つためになにをしたらいいのか、
アドバイスをお願いします。
浅葉 それはね、模写をしたり、いいものをたくさん観たり。
僕の場合は横浜にアメリカ文化センターがあったので、
高校時代はそこへ毎週通ってあらゆる本を借りてきました。
模写をすることがけっこう多くて、
月光荘のスケッチブックが100冊たまるくらい
習作を続けていたんじゃないかな。
まずは模写することで、尊敬する人たちになりきる。
その中から自分のものを見つけていくという感じでした。

たとえばもう20年やっている書なんかでも、
唐の時代の人が書いたものをお手本に、日々臨書を続けています。
そうねぇ‥‥天職と言っても、
やっぱり最初は模写から入るんでしょうね。
編集部 時代そのものを「自分の力で動かしていこう」という思いは、
若いころからありましたか。
浅葉 ありましたね。人を驚かせるとかね。
僕は小学4年生からボーイスカウトに入っていたんです。
ボーイスカウトには、初級、1級、2級、菊、隼、富士の
6階級があるんですよ。
技能賞制度でね、たとえば炊事賞を取るためには
生きているニワトリを1羽、
首をひねってお湯につけて、毛を全部抜いて、
お尻の穴から包丁を入れて全部料理しなければならない。
僕は餃子をつくったのですが、
料理を食べてもらってはじめて1つもらえるんですよ。
編集部 サバイバル術ですね。
浅葉 うん、サバイバル。
野営賞のためには1週間、ひとりでリュックサックを担いで過ごす。
僕は歩いて房総半島に行きましたけどね。
朝は魚獲りの人に味噌汁をもらって、
ごはんだけ炊いて食べるとか。
そういう訓練をずっとしてきました。
修行というか、「訓練」がいいんですよ。
編集部 模写にしても、臨書にしても、訓練ですよね。
浅葉 結局のところ、訓練ができるかどうかなんですよね。
それから僕は「合宿」という言葉がすごく好きで。
1日は24時間あるけど、寝ると負けるから
合宿してずっと臨書を続けるんですよね。
そういう修行に耐えられるかどうかで決まる気がします。
僕には卓球で鍛えた体力があるから耐えられる。

好奇心があって、それに向かっていく姿勢というものが
天職につながるのではないかと思います。
「これ、面白いな」と思ったら、
なにがなんでも全部やっちゃうみたいな。
浅葉さん
編集部 お話をうかがっていると、
肉体を使うことの強さというものが見えてくるような気がします。
浅葉 そう、肉体なんですね。
仕事で海外ロケによく行くのですが、
僕はこれまでに地球上の250の地点に行きました。
あらゆる少数民族に会って、考え方の違いとか、
いろいろな面白いものごとを観てきました。
人生において一番大切なことがらというのは「観察」だから、
毎日観察してそれを全部記録しておく。
編集部 日記ですね。
浅葉 「浅葉克己日記」という膨大なものがありますけどね。
日記で東京ADC(東京アートディレクターズクラブ)
のグランプリを取るなんて、異常だよね。
編集部 すべてをさらけ出して(笑)。
浅葉 「いったいそれはなんなの?」というね。
ただ、そこには自分がやってきた10年分の仕事が全部入っていたので、
評価されたのだと思いますが。
中学2年生のころに書いた日記が、読んでいると一番面白いです。
我ながらものすごい観察力でね。
「今夜は一所懸命寝たから、早く起きた」とか書いてある。
編集部 寝ることにも気合が入っている。
浅葉 「寝るぞー!」と言って寝ている。
そんなことも記録されていますからね。
浅葉さん
編集部 さて、やはり今この質問を避けることは難しいので、
あえて聞かせてください。
今後の日本を変えることになるであろう
東日本大震災について、
浅葉さんが考えていることを教えてください。
浅葉 若い人はけっこう不安だと思います。
でもね、僕は5歳で戦争体験をしているから知っているのですが、
日本は絶対に復興します。もちろん絶対に復興させたいしね。
そのためには多くの人も言っているように、
今自分ができることをやっていくしかないのだと思います。
そして元気を出していかなければいけない。
意気消沈してはいけないし、
いろいろなことをどんどんやっていかなければしょうがない。
そう思います。

元気なみんなに会いたいしね。
僕がやっている東京TDC(東京タイプディレクターズクラブ)は
ちょっと無理をして総会を開きました。
そうするとみんな元気でね、やる気になっているのがわかりました。
会えばいろいろなアイデアが出ます。
逆に会わなくなってしまうと、どうしようもなくなってしまう。
「人と人が会う」ということが一番大事なことで、
それも自分とは異分野の人がいいんですよね。
編集部 毎回場所を変えて開催している
「エンジン01(ゼロワン)文化戦略会議」のオープンカレッジも、
実にさまざまなジャンルのプログラムが組まれています。
浅葉 今年2月に開催した「歌え♪長岡♪」で10回目になります。
ほんと、驚くよね。
こんなにいっぱい講演やって、どうするんだと(笑)。
各分野の第一線で活躍する文化人が70人くらい集まって。
秋元康さんが企画に入っていて
ものすごくショーアップされているから、
講演会も聴いていて心地いいんですよ。
付録:浅葉さんからの一言メッセージ

人生で一番大切なのは「観察」――。
好奇心の火を絶やすことなく進む
浅葉さんのその言葉、実に深みを感じました。
後編は、卓球、色、パーティーのお話など。



                                つづく

●お知らせ
カラーデザイン検定 浅葉さんが会長をつとめるICD国際カラーデザイン協会が実施している
「第四回カラーデザイン検定」の受験申込みが
いよいよ4月11日から開始されます。
合格者には浅葉さんデザインの認定証が授与されます。

カラーデザイン検定 試験日:2011年7月3日(日)
受験申込み期間:2011年4月11日(月)〜5月24日(火)
実施級:2級 / 3級
合格発表:2011年8月19日(金)
カラーデザイン検定とは?
世界標準のカラーシステム「PANTONER」に準拠。現役クリエイター達が愛用する「PANTONER」で学ぶことによって、仕事に直結するスキルの証明となるだけでなく、学んだ内容が即座に現場で応用可能な検定試験。


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