なぜ「相手に伝えたつもりなのに伝わらない」のでしょうか。
今回はそんなコミュニケーションについて考えてみましょう。
文:志賀玲子 講師
夫の赴任地からの帰国をきっかけに専業主婦から日本語教師に。
都内日本語学校にて数年間勤務後、大学院へ進学。大学院修了後、日本語教師養成講座講師、大学講師に。
現在、大学にて留学生教育の他、日本の学生への初年次教育及び日本語教授法等の科目を担当。
伝えたつもりでも伝わっていなかった
「これについて、私、前にも説明しましたよね・・・」
「いやあ、聞いてないけど・・・。」
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「このことは、先日、言ったはずですけど・・・。」
「いえいえ、そんな話は聞いていませんよ。」
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「あの人は、説明しても全然理解してくれない。どうしたらいいんだろう?」
「仕方ないよ。あきらめなよ。」
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こういう会話・・・「あるある!」ですよね。
相手がわかってくれない、伝わっていなかった・・・
つまり、「伝えたつもりでも伝わっていなかった」という状況・・・こんなとき、ついつい相手のせいにしていませんか。
今回は、コミュニケーションについて、「伝える」「伝わる」という観点から考えてみたいと思います。
「やさしい日本語」の活用
話がとぶようですが、私の担当している授業の話からはじめさせてください。
大学の教養科目として私が担当している日本語教育学関係の授業では、毎回、学生から振り返りのコメントを書いてもらっています。気づいたこと、興味をもったこと、疑問に思ったことなどを、自由に記述してもらうのです。考えたことを言葉にするのは、学んだことを思い出したり、自分の意識を改めてじっくり考えたりすることになるので、振り返りの手法として意義があるんですよね~。
その中でおもしろいものがあったので紹介しようと思います・・・が、まず、授業についての簡単な説明をします。この授業は、日本語教育のことを広く知ってもらうために開講しています。また、日本語教育の考え方が多文化共生社会を担っていく人たちに有効だと私は考えているため、その神髄を伝えたいという思いも込めています。
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
授業は1学期間で全15回程度ありますが、ある回では「やさしい日本語」というものを扱っています。「やさしい日本語」というのは、「難しい言葉を言い換えるなど、相手に配慮したわかりやすい日本語」(出入国管理庁・文化庁)と言われているものです。
これは、日本語が得意ではない人に対して、災害時に情報伝達をしっかりおこなわなければならないということで考えだされたものですが、今では幅広い場所で、より多くの人を対象に使えるものとしてとらえられています。
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例えば、役所、病院、レストラン、ホテルなどでも「やさしい日本語」の活用が広がっています。また、はじめは日本語を母語としない人を想定していたのですが、実は、日本を母語とする人にとっても有効なのではないかと考えられるようになってきています。それは、コミュニケーションというものの意味のとらえ方が広くなってきたということにも理由がありそうです。相手にわかりやすく話をするということですから、実は、いつでもどこでも誰に対しても、コミュニケーションの上で大切なことなんですよね。
「やさしい日本語」授業の反響
実際、私が授業で「やさしい日本語」について学生たちに伝えたあと、さまざまな反響がありました。その中には、いろいろな場所で、そしていろいろな人とのコミュニケーションをとるときとても有効だ、ということを実感したものが含まれます。
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以下、学生が記したコメントを示します。学んだこと、気をつけるべきことなどが書かれている、学生の生の声です。
・わかりやすく丁寧に伝えるように工夫するようになった
・伝わるように伝える/伝え方の工夫をするようになった
・外国の人たちにわかりやすくするために相手の聞きやすい短い文にする
・気持ちをこめて相手に伝えるようにする
・「相手の聞きやすい短い文にする」⇒(その結果)アルバイト先の同僚の外国人とうまくコミュニケーションがとれるようになったような気がする
・以前より、アルバイト先で話しかける頻度が高まった
・外国人のお客さんに対して使ってみた ⇒(その結果)お客さんが自分に対して話しかけてくれるようになった
実際に、「やさしい日本語」の作り方や使い方のコツを示し、授業でも実践的な練習をしているのですが、教室から離れた場所で実際に使ってみたという学生が多くいました。
さらに、この考え方や手法は外国人に対してのみ有効なことではないということが、次の学生の声からわかります。
・家族との会話でも伝わるように伝える意識が少し出てきた
・説明する際にできる限り相手が理解しやすいようにと心掛けるようになった
素晴らしいことだと思いませんか?これって、コミュニケーションの基本ですよね。
このように、コミュニケーションの取り方について、以前より意識が高くなったという学生からの声が聞けて、私はこの授業をしてよかったと改めて感じたのでした。
「コミュニケーション」について
コトバンクによると、「コミュニケーション」について以下のように説明がなされています。
伝達・通信・交信など,情報が伝えられることをコミュニケーションという。そのうち対人コミュニケーションとは,人と人とをなんらかの心的メッセージを送受して結ぶことである。心理学が対象とするコミュニケーションは,この対人コミュニケーションに尽きるといって良く,互いの意図や感情の伝達が言語を介して行なわれるものを言語コミュニケーション,言語以外の手がかりを用いて行なわれるものを非言語コミュニケーションとよぶ。
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さて、天台宗のホームページの法話集には、以下のような言葉が書かれたページがあります。
「聞き損いは、言い手の粗相」ということわざがあります。
私たちは、話し手の真意を正しく理解することができず、つい誤解してしまうことがあります。あるいはまた、いくら言ってもなかなか聞いてもらえずヤキモキすることがあります。
「あんなに口を酸っぱくして言ったのに、全然言うことをきかない。」
「こんなに心配していったのに、どうして私の言うことがわからないの。」
と、腹立たしく思うことがあります。
私たちは、自分の言ったことがその通り相手に伝わらない時、聞き手の聞き方がわるいといって責めたりしますが、果たしてそうなのでしょうか。話し手の方に問題はないのでしょうか。
聞き損いは、言い手の粗相。
聞き手が正しく理解しないのは、言い手の方に問題があると思った方がよさそうです。
(中略)
一方的な言い方ではなく、まず相手を理解する。その中にことばの交流はあるのでしょう。
(天台宗ホームページより)
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先ほど紹介した学生の言葉・・・
・家族との会話でも伝わるように伝える意識が少し出てきた
・説明する際にできる限り相手が理解しやすいようにと心掛けるようになった
これは、「聞き損いは、言い手の粗相」という精神を体得したことのあらわれではないでしょうか。私自身も留学生を含む大学生を対象に授業を行っているので、いつも、伝える側の責任を感じています。この気持ちは、相手が外国の人であっても、日本の人であっても根底では同じことではないかと思っています。
コミュニケーションは双方あって成り立つものです。話し手、聞き手双方の歩み寄りによって成立します。そのとき、話し手は、「伝えただけではなく伝わっているか」ということを確認する必要がありそうですね。これって、実はとても大切で基本的な姿勢なのだと改めて思います。
「伝える」「伝わる」・・・改めてじっくり考えてみませんか。
【参考】
出入国在留管理庁・文化庁(2020)「在留支援のためのやさしい日本語ガイドライン」
https://www.bunka.go.jp/seisaku/kokugo_nihongo/kyoiku/pdf/92484001_01.pdf
コトバンク
天台宗