日本語教育というと「国語」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
今回は、日本の大学生への質問を通して、日本人が陥りがちな「日本語教育の罠」と外国人の日本語学習者に「本当に必要な学び」を教えていただきました。
文:志賀玲子 講師
夫の赴任地からの帰国をきっかけに専業主婦から日本語教師に。
都内日本語学校にて数年間勤務後、大学院へ進学。大学院修了後、日本語教師養成講座講師、大学非常勤講師に。
現在、大学にて留学生教育の他、日本の学生への初年次教育及び日本語教授法等の科目を担当。
外国人に日本語を教えるとき、何から教えると良い?
日本人が考えがちなこと
まずは、日本語教育に深い縁のない日本の大学生に聞いてみました。
「外国人から日本語を教えてと頼まれたら、どんなことから教えますか?」
「あいうえお・・・五十音の書き方」
「ひらがな、カタカナ、漢字」
「あいさつ」
「簡単な質問文・・・困ったときに尋ねられるように。」
ふむふむ。文字について言及する学生が多いですね。
自分たちが初等教育で習ってきたように、言葉の学習というと、まずは「文字学習が大切だ」と潜在的に考えている人が多いようです。
ここで、一旦日本語の話をやめて、英語の話に切り替えてみました。
「中学、高校、そして今も、英語を学習していますよね。どんなことに悩んできましたか。または、悩んでいますか。」
「たくさん勉強したのに話せない」
「苦労して勉強してきているのに、結局使えない」
「会話したいけどできない」
「英語が読めない」や「文法がわからない」という意見ではなく、「会話ができない」ことに焦点が当たっています。
多くの学生は、外国語である英語に関して、実際のコミュニケーション手段として使えない、運用できない、という悩みを抱えているようです。
ここで、ちょっと問いかけてみました。
「それはなぜだろう? どうしたらよいと思う?」
「実際に使ってないから」
「とにかく話す機会をもたなきゃいけない」
「短い文でいいから声に出すべき!」
う~ん、出てきますね~。
知識は蓄えたものの実際に使っていないこと、使う練習をしていないことなどが原因だと考えている人が多いようです。
大切なのは運用力
日本語教育の話に戻りましょう。
「では、改めて考えてください。外国人に日本語を教えるとき、何から教えるとよい?」
「やっぱりあいさつ、自己紹介」
「知りたいことを尋ねるための疑問文」
「身近なものの名前」
「ひらがなの読み方」
先ほどとは少し視点が変わってきています。
もちろん、翻訳家になりたい、文学作品を読みたい、などなど、外国語を学習する目的は様々です。最終的には、それぞれの人によりどんな学習に力を入れるかは変わってきます。
ただ、言葉を人と会話するという意味でのコミュニケーション手段と考えた場合、運用力をいかにつけるかということが大切で、それが達成されていないことへの不満を多くの学生が抱えている、と言って間違いないようです。
学習者が学齢期にあるかないかとか、その人のバックグラウンドがどのようであるかとか、どんな仕事をしているか(するか)などによっても当然変わってくるのですが、少なくとも日本に住んでいる人は、周囲との関係を日本語で作っていく必要があります。そのためには、日本語で対話ができるというのが大切な要素となってくることでしょう。
「母語を学ぶ子ども」と「外国語を学ぶ大人」の違い
さて、「日本語を教える」と聞いたとき、日本語を母語としていて、日本の学校教育を受けた人は、「ああ、国語ね。じゃあ、小学校1年生の国語から教えればよいのかな。」と思うことが多いようです。
漢字についても、小学校1年生で習う漢字から順番に教えればよいのではないか、と考えがちです。
ここで、先ほどの大学生たちに、小学校1年生で習う漢字の一覧表を見せます。そして、「ここに出ている漢字の特徴はなんだろう?なぜ1年生で習うのだろう?」と問いかけます。
「簡単」
「画数が少ない」
「わかりやすい」
はい、確かにそうですね。
小学校1年生で習う漢字は、比較的画数が少なく、画数の多い漢字の一部分になるような基本的なものが多いですよね。例えば、「日」や「木」などのような漢字です。
そして抽象概念を表すものではなく、具体的で、小学校1年生でも意味が理解しやすい漢字が選ばれています。
次の質問に進めます。
「漢字を学習する際の条件について、小学校1年生の母語話者と、大人の非母語話者である学習者の大きな違いは?」
大学生の多くは、ここでとまってしまいます。
「何だろう?」と、❔マークが彼らの頭を駆け巡ります・・・・。
日本語の母語話者であり、かつ、日本の学校教育を受けた人が日本語を教える際に見落としがちなことが、「母語話者の子ども」と「大人の学習者」には決定的な違いがあるということです。国語の教科書通りに教えればよいと考えてしまう原因は、その違いを理解していないことからきます。
小学校1年生で習う漢字一覧表を見せながら
「外国人が日本に来て、日常的に目にする漢字ってどれだろう? 逆に、日常生活ではあまり見ない漢字ってどれだろう?」
大学生たちの脳が再び活動を始めます。
「月、日はよく見るかな」
「漢数字も知っていると便利だと思う」
「お金、円」
「村っていう漢字はあまり見ないかも」
「糸も見ない?」「では、逆に、ここにのっていない漢字で、日常的によく目にする漢字は?」
こういうやりとりを続けていくと、大学生の中に、それまで「常識だ」と思っていた漢字の学習について、「別の観点」から見る姿勢が生まれてきます。母語話者として国語教育を受けた人の「常識」にちょっと揺さぶりをかけてみると、大学生の中に新たな視点が生まれるようです。
たとえば、先ほど出てきた「村」について考えてみましょう。小学校で漢字を習い始める多くの母語話者の子どもたちは、既に「村」という言葉を、物語などを通して知っています。
もちろん発音の仕方も知っています。「村」という漢字を習う前に、「むら」の音声も意味も自分なりに理解しているのです。音声、意味を知ったあとで、最後に、「むら」の漢字「村」を知るのです。
ここに、多くの大人の日本語学習者が漢字を学習するときとの違いがあります。漢字は、字形、読み方、意味がそろって初めて、その運用ができるものです。学習者はこれらを一気に覚える必要があるということについて、ついつい見落としてしまいがちなんですね。
‥‥こう考えていくと、普段あまり使わない漢字(あくまでその人にとってですが)より、普段よく目にする漢字を優先させたほうがよいという考え方が出てきます。自分がもつ「国語の常識」ではなく、学習者にとって身近なもの、覚えると便利なもの・・・そういう視点をもつことは、学習者に寄り添った姿勢として大切なことではないでしょうか。
常用漢字表の使い方に気を付けよう
常用漢字表を見ると、それぞれの漢字に複数の音読み、訓読みが書かれているものがあります。漢字の読み方についても、読み方のみを切り取って覚えるだけでは学習者にとってあまり意味がなく、負担が増すだけだということを認識するべきでしょう。例えば「生」という字は、多くの読み方がある筆頭の漢字です。皆さんの頭にはいくつの読み方が思い浮かびますか。
セイ、ショウ
いきる、いかす、いける、うまれる、うむ、おう、はえる、はやす、き、なま
常用漢字表はこれだけの読み方が示されていますが、学習者に、読み方だけを切り取って、すべてを教えるのはあまり効果がないと思いませんか。
意味や使い方も伴わなければ、結局運用に結びつかないし役立たないとすると、学習者にとって身近なことばや便利なことばを表す文字として、漢字を伝えるべきでしょう。
学生であれば「学生」という言葉とともに漢字を覚えるのは、おそらくそんなに無理がなく自然ですよね。
ちなみに、以前私が担当した大学院生の授業では「生ビール」を伝えました。学生たちが嬉々として声に出しながら漢字をおもしろがっている様子が、今でも目に浮かびます。居酒屋さんに行ってはその字の確認をし、「生ビール」を注文していたようです。
文字であっても、できるかぎり運用と結びつける―学習者に寄り添った日本語の示し方、伝え方を考えてみてください。