「ティーチャートーク」ってご存知ですか。
先生のお話し・・・教師の話し方・・・、
そう、学習者が理解しているか様子を見ながら、言葉のコントロールをしつつ教師が話すことです。日本語教育では、
・文型コントロール
・語彙コントロール
・スピードコントロール
などをさすことが一般的です。特に、初級の学習者に教える際には意識されることが多い概念です。
今回はこの「ティーチャートーク」についてお話しします。
文:志賀玲子講師
ティーチャートーク
文型コントロール
では、文型コントロールから簡単に説明しましょう。
多くの初級教科書は、「文型」を中心に組み立てられています。最近の教科書は、ただ単に「文型」を覚えるのではなく、「どんな場面でどんな時にどんなふうに使うか」を意識しながら「文型」を身につけていくことを考え、編まれています。
一般的には易しいものから難しいものへと段階的に学ぶことになっているので、「まだ習っていない文型は使わない」ということが、授業の際の原則となります。
教師は、学習者が既に習った文型を使う、ということを強く意識するんですね。
語彙コントロール
語彙コントロールは、文型コントロールと似ていて、やはり、使う言葉に気をつけるということです。
例えば、新しい文型を伝えるときのことを考えてみましょう。そこに理解困難な言葉を使ってしまうとどうなるでしょうか。「その言葉の意味はなに?」「えっ、今なんて言った?」というように、学習者の意識が言葉に向かってしまい、本来伝えるべきことからそれてしまう恐れがあります。ですから、重要なことを伝えるときには、特に意識する必要があります。できる限り、その時ポイントとなる事柄に集中してもらうことが大切なのです。難しい語彙は、その邪魔をしてしまうことがあるわけです。
以前は、文型も語彙も、厳密に「既習の事項のみを使って授業をすること」を意識する現場が多かったようです。最近は、言葉の「自然さ」や「真正性」を重視するようになり、それほど神経質にならない場合も増えてきました。確かに、語彙については、現物を示しながら話すという方法もとれますよね。また、生活でよく見聞きするような言葉は、教科書に出ていなくても知っておいたほうが便利なわけです。
ですから「既習」ということにどれだけこだわるかは、それぞれの現場や学習者によって違ってくると考えられます。
スピードコントロール
さて、最後に「スピードコントロール」についてお話ししましょう。これは3つの中でも最も誤解が多いものです。とにかく「ゆっくり」話す、ということが強調されがちなのですが・・・実は、そういうわけではないのです。
~ティーチャートーク(スピードコントロール)にまつわる失敗談~
私の新人時代の失敗談をお伝えしましょう。
当時の私は、とにかく「はっきり、ゆっくり」話すことを心がけていました。
学習者から「先生の話はとても聞きやすくてわかりやすい」と言われ、教師としての技能が身についていると嬉しく思い、自分の「ティーチャートーク」に満足していました。
また、「先生の話はよくわかるけど、外で日本人と話すときは全然理解できない」という学習者もいました。このような学習者の言葉を聞いて、最初のうちは、「私のティーチャートークはなかなかのものだ」くらいに受けとめ、大きな勘違いをし、自己満足状態から抜け出せずにいました。
ところが、どうも私のクラスの学習者は「聴解」が弱いのではないか、と反省せざるを得ないような状況になってきたのです。
・・・・私のティーチャートークは、単なる自己満足であり、本当の意味でのティーチャートークになっていないのではないか?・・・こんな疑問が湧いてきました。
いつも、はっきり、ゆっくり、学習者が一度で理解できるようなトークを心がけていました。学習者がすんなりと理解できたようだったらティーチャートーク合格!というような感覚で教壇に立っていました。学習者の「伸び」というものを意識していなかったのです。長期的な視点をもてていなかったのですね。学習者は、教室の中で教師の言葉を理解することを最終目標としているわけではなく、実社会で日本語を使ってコミュニケーションをとることを目指しています。その認識が、新人だった私には決定的に欠けていました。それに気づいた以上、ティーチャートークに対する考え方に修正を加えなければなりません。
~めざすべきティーチャートークは?~
ティーチャートークの「スピードコントロール」というのは、単にゆっくり、ということではないのです。教える際に、効果的なスピードを考え、その都度変えるべきだということなのです。つまり、教師が、そのときの状況に合わせて、時にはゆっくり、時には少しスピードを上げて、時にはナチュラルスピードで、というようにスピードをコントロールしていくことなのです。
そのことを認識してから、私のティーチャートークは変わりました。例えば、新しい文型を導入するときにはゆっくり話します。でも、一旦学習者が文型を認識し、口頭練習に入ると、はじめはゆっくりでも徐々にスピードアップしていきます。学習者の様子を見ながら、少しずつナチュラルスピードに近づけていくのです。「ここは絶対に聞き逃してほしくない」というときには、やはりゆっくり話します。でも、その箇所が終わると、できる限りナチュラルスピードに近づけます。
完璧をめざさなくてもよい!
ナチュラルスピードで話して、もし学習者が聞き取れていないようだったら、もう一度言い直せばよいのです。学習者の表情や反応を見ていれば、自分が言ったことが伝わっているかどうかは、容易に判断できます。・・・いえ、判断しなければならないのです。伝えるだけではなく「伝わる」ことが大切なのですから。そして、もし伝わっていないと思ったら、繰り返せばよいのです。「繰り返す」というのも、ティーチャートークとともに私が明確に認識し、意識し、身につけた技能です。
新人のときは完璧なティーチャートークを目指していました。それが間違いの発端でした。日本語の教室はリアルなコミュニケーションの現場です。伝わる、伝わらない、という現象が日常的に起きています。それは実社会と同じです。実際、私たちは相手の反応を見ながら、繰り返したり、スピードをゆるめたり、別の表現に変えてみたりしますよね。日本語の教室でも、根本的には同じことをすればよいのです。
さらに、実際のコミュニケーションを考えると、いつまでたっても、つまり、相手がとっくに理解していても、ゆっくり話し続けるのは失礼にあたることだと気づきます。日本語の教室でも同じで、相手の様子を見てスピードを変えるという姿勢はとても大切なことだと思います。
学習者目線にたつ
新人教師だったとき私に一番欠けていたのは「学習者目線」でした。常に「教師としてこうあらねばならない」とか、「授業準備したのだから何とかしてすべて伝えたい」など、自分目線で、自己満足の範疇を出ずに考えていたように思います。学習者にとってどうなのか、学習者にとって役立つか、といった学習者目線をもち、学習者に寄り添う気持ちが、当時の私には不足していました。
良い教師であることの条件のひとつは、いかに自己満足に陥らず「学習者目線」に立てるか、ということなのだと思います。