「多文化共生社会」・・・最近よく耳にする言葉ですね。オープンなイメージで、和気あいあい、いろいろな文化背景を持つ人たちがお互いに尊重しあい、協力して、より豊かな時間を過ごす・・・うんうん、理想的!!さて、果たして日本は「多文化共生社会」になっているのでしょうか? それとも、これからなるのでしょうか? いやいや、まだまだ道は遠いのでしょうか?
今回は「多文化共生社会」についてはじめに少し考えてから留学生が日本社会をどう思っているかについての一例をお伝えしたいと思います。
文:志賀玲子講師
多文化共生社会を考える
多文化共生社会とは?
「多文化共生社会」という言葉はとても美しい言葉で、すんなりと受け入れられるため、スローガンとしても用いられやすいものです。
多くの方が「そうだ!そうだ!多文化共生は大切だ!」と口にするでしょう。
しかし、実際、どういうことを多文化共生っていうの?となると、なかなか具体的に答えられる人はいないようです。
答えられたとしてもよく言われている理想的で抽象的なことばかり・・・・。実は、この言葉の定義についてはあまり言及されないまま使われていることが多いようなのです。
何をもって「多文化共生」と言うのか・・・このことについて書き始めると長くなってしまうので、詳しくは別稿で改めて・・・。
多文化共生社会に必要なことって?
さて、「多文化共生社会」の実現のためにはどのようなことが必要でしょうか。
皆さんがイメージする「多文化共生社会」を思い浮かべてくだされば結構です。
「お互いの文化を尊重する姿勢をもつ」「文化の紹介などをしあう」「相互理解のために交流の機会を多くもつ」などなど・・・このようなことが一般によく言われていますよね。
日本国内のことで考えると、日本に住む外国人に習得してもらうために日本語を教える、日本の社会の習慣について伝える、ということなども、出てくるかもしれません。
実際に日本で行われていることを見渡すと、日本に来た外国人たちが日本社会にとけ込むために手助けをする、というものが多いようです。
皆さんが日本に馴染むために私たちは手伝いますよ、という感じです。
しかし、ちょっと視点を変えてみましょう。日本側の受け入れ姿勢はどうでしょうか。受け入れ態勢はできているでしょうか。自分たちも変わる準備はできてきますか。それとも、日本側は受け入れ側なのだから自分たちが変わる必要はないのでしょうか。
多文化共生を説く際に、ゲスト(入ってくる人)とホスト(受け入れる人)両者が変わるべきだというものがあります。
皆さんは、この点についてどう思いますか。変わるのはゲスト側だけでよいと思いますか。日本側のホストとしての受入姿勢はどうあるべきだと思いますか。
留学生から見た日本社会
日本に対する印象の意味
さて、新型コロナウイルスの影響を受け、日本語学校で学習する留学生もかなり減ってしまっています。大学の留学生、特に、交換留学生の来日も激減しています。
留学生という資格で日本に滞在する外国人には、日本の大学に入学して卒業する正規の留学生もいますし、交換留学生として半年ないしは1年間日本に滞在する短期留学生もいます。
短期の交換留学生の場合、正規の留学生とは違って日本での就職を目指してはいない場合が多いようです。自国に帰って就職するパターンですね。でもそういう留学生が日本に対してどんな印象をもつかは、とても大きな意味を持つと思いませんか。
日本の理解者として自国で日本の話をしてくれれば、遠回りではあるかもしれませんが、友好関係につながるような気がします。そのような小さな架け橋がかけられていくのは、日本にとっても相手国にとっても、喜ばしいことだと思いませんか。
残念ながら2020年、2021年の日本への留学生数は減ってしまっていますが、コロナ禍が過ぎ去れば、再び増加傾向に転じることが期待されています。
せっかく日本に留学してくれる学生たちです。彼らが過ごしやすい環境を提供できるか否かは、これからの日本にとって大切なことではないでしょうか。
留学生たちのことば
日本の大学に留学している短期留学生にインタビューをして、日本社会の受け入れ態勢についてどう思うかと訊ねてみました。
まず、アルバイトについては、「公平でよい」との見解を示してくれました。「時給がいくらかはっきりしていて、日本人も外国人も関係なく、明瞭に決められているのが嬉しい!」との言葉が発せられました。
コンビニでのアルバイトについては、マニュアルがしっかりしていて、その通りに行えば問題は生じないため、仕事に苦痛はないとのことです。コンビニで売っているレギュラーコーヒーの淹れ方についても、こんなふうに話してくれました。
「決められた手順に沿って行えばいいから楽!もし間違えても、日本の人は丁寧に教えてくれる」と満足しているようでした。
一方、日本人の「ホンネとタテマエ」や「空気を読む」態度には閉口する声が多いということもお伝えしておきます。「日本人の優しさです」と解釈してくれる人もいますが、それによってがっかりさせられた経験を少なからずもっている留学生が多そうです。
例えば・・・
日本の人はすごく空気を読むから、その場ではマイナスのことを言わない。話を合わせるのが得意。例えば私が好きなアニメの話をすると「うんうんわかる~!!」と相槌をうつ・・・だけど、本当は全然面白がっていないみたい。目を見ればわかる。
今度どこかに食事に行こう、という話になったとき、その場ですごく盛り上がって「行こう!行こう!」となる。で、「いつにする?」と言うと、「ちょっと予定を確かめて、また連絡するね」となり、結局その話は消えてしまう・・・・
約束をしたときも・・・その場ではとっても盛り上がって勢いにのり約束の日時を決める。・・・すると、直前にメールやラインがきて、「ごめんね・・・急用ができた。」とドタキャンされる!!
このような話を何人もの留学生から聞きました。
「日本人は真面目で時間や約束を守る、と思っていたけど、個人的な約束についてはあまり信用できない」。
この言葉を聞いて皆さんはどう思いますか。日本人独特のコミュニケーション方法だから仕方がない、などと言えますか?
日本人は「場の空気を読む」とか「やさしいから直接断れない」という良心的な解釈をしてくれる留学生ももちろんいます。でも、その寛容さに頼ってしまってよいのでしょうか。こんな状態で、真の信頼関係は築けるでしょうか。
「何でもほめてくれる」という話も出ました。これは、「嬉しい」「やる気が出る」とプラスの評価をしている留学生もいましたが、そうではない留学生もいました。「間違っているところについて、的確に指摘してほしい」という声も聞かれたのです。
日本語について指摘されなかったから、ずっと正しいと思って使っていたら、あるときそれは間違いだということに気づいた!ちゃんと教えてほしかった!!
やさしく間違いを指摘してくれるとすごく嬉しい。はっきり注意されても、意地悪なのか親切なのかはわかる。だからはっきり言ってほしい。
議論ができない日本人
さて、「議論ができない日本人」という話も、ときどき耳にします。「異論」を唱えたり、「意見」を述べたりすると「批判」をしているととられてしまうと・・・そのため、しっかりとした議論にならない、というわけです。
「同調圧力」「空気を読む」などと言った、日本社会や日本人の特性をあらわす言葉とも結びつきますが、先の留学生の言葉は、このあたりの指摘とも関連しているようです。
日本はすでに多文化社会です(多文化共生社会かどうかはここでは言及しません・・・)。様々な文化背景を持った人が、ともに生活しています。慣れ親しんでいるコミュニケーションスタイルが誰にでも通用するとは限らないということを、しっかりと自覚する時期に私たちは来ているのかもしれません。