目次
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  1. 1. 携帯電話のコールセンターから日本語教師へ
  2. 2. 安定を取るか、夢を取るか。究極の選択を迫られる!
  3. 3. 学生1000人の進路に、一人ずつ並走していく
  4. 4. 卒業生からもライン。「先生に会いたいです!」

日本語教師って、ほんとのところどんな仕事?
常勤と非常勤講師の違いや、海外で働く「外国人の日本語教師」をトレーニングする仕事まで、まったくの異業種からひょんなきっかけで日本語教育の世界に飛び込んだ40代教師が一番大切にしていること。

 

<インタビューに答えてくれた先生>

江尻友昭(えじりともあき)さん 47歳

大学卒業後、入社した企業の経営が傾き退職。その後、「国際関係論」を学ぶため大学院に進学。博士号を取得後、イギリスの大学へ研究生として留学。その後、大手キャリアの携帯電話のコールセンターで勤務しながら日本語教師教師養成講座に通う。3年前から日本語教師として活躍。

 

携帯電話のコールセンターから日本語教師へ

まず、日本語教師を目指したきっかけから教えてください。

始まりはひょんなきっかけだったんです。今から3年ほど前、友人から「今年4月から小学校で英語が必須になる。知人が校長を務めている小学校で英語の先生にならないか」というお誘いがあって。もともと僕は、高校教員の免許は持っていたのと、留学経験があり英語は少しだけ話せるんですね。ただ小学校で教えるためには別の免許が必要。そこで専門学校を調べ、ヒューマンアカデミーに話を聞きに来たんです。

ということは、最初は小学校教員免許を取ろうと?

そうなんです。でもその時、「じつは今、日本語教師のほうが足りていないんですよ」と聞き、初めて日本語学校というものがあると知りました。とても興味を持ち、それなら日本語教師養成講座を受講してみよう、と。

小学校の英語教師はとりあえずおいといて(笑)、日本語教師を目指そうと。ちなみに、それまではどんな仕事を?

一番最初に勤めていた会社が傾き、リストラにあってからは派遣会社に登録しました。その間、もともと大学時代に専攻していた「国際関係論」を学ぶため、大学院に進学し修士を取ったんです。その後、博士号も取ろうと、ニューヨーク市立大学へ語学留学を経て、イギリスの大学院へ研究生として入学しました。

派遣社員になってからは、学問に没頭されていたんですね。

ただイギリスの大学では、学費が年間120万円かかるんです。大学院は5年ですから、生活費を入れると1千万円かかります。これは厳しい……と博士を断念し、帰ってきたんです。それから携帯電話のコールセンターで働くようになりました。「なぜ大学院を出てコールセンターに?」ってよく聞かれるんですけど、時給が1700円と高かったことと働く環境が良かったんです。

ただ、教育に関わりたいという思いは、ずっと持ち続けていました。

安定を取るか、夢を取るか。究極の選択を迫られる!

コールセンターで働きながら日本語教師の講座に通っている時、思いがけない声がかかったとか?

じつは日本語教師養成講座の終了間近、あと教育実習だけという時に、コールセンターの会社で正社員にならないか? という話をいただいいたんです。ものすごく悩みました。大企業で働き安定を取るのか、それとも夢を取るのか。でも自分は教育現場で働きたい、ゆくゆくは大学の別科生にも教えてみたいという具体的な目標が見えてきた頃だったんです。かねてから大学で教えたいというのが、自分の夢でしたから。それに、受講料70万円も無駄にしたくない……。悩んだ末、そのお誘いは、断りました。冒険でしたね。

夢を選び、実際日本語教師として働き出して、どうでした?

最初はヒューマンの東京校の非常勤講師として週2回、3ヶ月間教えたんですが、もう本当に楽しくて。教えることって、こんなに楽しいんだって。学生は、日本に来たばかりのゼロビギナーで、みんなやる気満々なんです。僕が言うことをひとことも聞き漏らさないで、本当に一生懸命にやってくれる。3ヶ月後には常勤講師になりました。収入面では、コールセンターで働いていた時の3分の2になりましたけど(笑)。

非常勤と常勤では、何が変わりました?

常勤は、教室で教えること以外の業務が圧倒的に多いです。非常勤は、授業が終わると記録を書いて、せいぜいプラス1時間程度でさようならですから、常勤の先生が何をしているか、ぜんぜんわかんなかったんですよ。常勤は、やることがいっぱいあって、びっくりしました。

具体的にはどんな仕事を?

僕は進路担当になったんですが、2000名の学生のうち1000名が卒業するので、1000人分の進路を見つけないといけません。先生3人で分担していましたが、午前中の授業が終わると、学生が並んで待っているんですよ。

一人ずつ将来の希望を聞き、それぞれに合った学校を紹介し、オープンキャンパスの日にちを伝え、「必ず行ってね」と念押しし、そうこうするうちに午後の授業。それが終わるとまた面談再開。バイトがある学生は「先生、夜8時からでもいいですか」と。もちろん受けます。忙しすぎてどうしよう!? という日も少なからずありました。

 

学生1000人の進路に、一人ずつ並走していく

進路指導は1000人いれば、1000パターンありますよね。

そうです。IT関係でもドローン作りを学びたいとか、AIでも二次的なことを学びたいとか。変わったところでは、空港で旗を降る仕事を学びたいっていう子も。ちゃんと専門学校があるんですよ、九州に。まず進学して何を学びたいかを聞き、希望がはっきりしている子は、すぐ決まります。こちらは、どんな希望を言われても、「それならこの学校」と言えるよう準備をしています。間違いがあってはいけないので、自分で直接学校を訪問し授業の見学をさせてもらった上で、本人に「この内容でいい?」と確認し決めていきます。

先生自ら学校訪問も!

顔つなぎのためにも、進学先の入学や卒業式にもなるべく行くようにしているんです。関係性ができていれば、もしすでに定員に達してる場合でも、補欠入学などの相談ができますから。

一番悩ましいのは、どこでもいいから入りたい、日本語力もないけど日本には残りたいという学生です。そういう場合は、こちらも腰を据えて、音楽療法の学校から日本人形を作る専門学校(!)まで範囲を広げて、話し合います。

進路に悩んだ学生から相談をされることも?

あります。介護学校への進学を希望しているある優秀な女の子がいて、Aという学校にすんなり決まったんです。ところが、彼女の寮母さんが、「そこよりBってところがいいわよ」と。寮母さんに言われるまま、Bも受験し、そちらも合格。そしたら、今度は先輩からBよりCの学校がいいと助言されて、「わたしはどうしたらいいでしょうか……?」と泣きながら相談にやってきたことがありました。「君の人生だから、君が行きたいところに行くのが一番だよ」とアドバイスを。結局3つ目のところに、彼女自身が決めました。

 

卒業生からもライン。「先生に会いたいです!」

他にも忘れられない学生さんとの思い出があるとか?

中国の大学で合金を勉強してきた留学生がいたんですが、日本の大学でもっとレベルの高いことを学びたいと。北海道大学に入学できることになったんですが、彼が希望する院生としてではなく、研究生からのスタートだったんです。でも、その年の10月に正式に大学院の試験に受かり、晴れて院生に。「先輩にも恵まれ、思っていた通りの研究が出来て、すごく楽しい生活をしています。先生のおかげです」と日本語で書いた手紙をくれました。研究生から挫折することなく、ほんとに一所懸命がんばってくれて僕もホッとしました。

卒業後も、学生とのつながりがあるんですね。

学生とは、進路相談の時からラインを交換するんです。いつでも連絡が取れるように。休日でも、「志望校に落ちました。先生、他にどこかいいところありますか」というような急ぎの相談がありますから。卒業後は「今通っている専門学校を卒業したら大学に行きたいんですが、どうすればいいですか?」という問い合わせも。日本語教師の仕事は休みであって休みじゃない。だけど、その分、個人的に学生とつながることができます。卒業後も、「今度東京行くんですが、先生に会いたいです」という連絡がもらえるのが一番嬉しいし、僕にとってのやりがいにつながります。

 

<後編に続く>


インタビュー : さくらいよしえ  / イラスト : 溝口イタル