BRIDAL
COLUMN#11

私の履歴書vol.3~憧れ続けたブライダル業界へ!ゲストハウスへの就職~

さて、こんな流れでブライダルの社会人学校への入学を決めた私。
就職したばかりなのに、1ヶ月で辞めるなんて。今更ながら、すごい行動力だったなあと思います。
卒業しても、ウェディングプランナーになれるなんて保証はどこにもないのに。
その時の決断力は、一体どこから湧いてきたんだろうかと未だに不思議に思うときもありますが、私はなんといっても陽転思考!
元々そうなのかと言えば、全く違います。ネガティブな感情をプラスの感情として物事の捉え方を変えることで、自分が心地良く生きられることに気付き、そうして生きてきました。
全てのことが『事実は1つ。あとは捉え方次第!』で、自分の未来がどんな方向にも変わるんですよね。これは、和田裕美さんの本との出会いが、私に大きな気づきを与えてくれました。

「絶対にプランナーになる!!!」という執念とでも言えそうな強い気持ちだけは、勝手に、誰にも負けないと思っていました。ウェディングプランナーになれないという将来の選択肢は、自分の中になかったような気がします。
なぜなら、せっかく入社したばかりの仕事を辞めてまで、専門学校に行くという決断をしたんですもの。
プランナーにならなかったら、それらの決断に対して無責任だし、親にもどんな顔を見せれば良いのか、と。
だからこそ、「私は絶対ウェディングプランナーになる!」という夢を諦めませんでした。
「自分の決断に責任を持つ」それは、この時に学んだ教訓でした。

さて、いざ専門学校に通い始めたは良いものの、目先のお金がなありません。
専門学校のローンも返さなければなりません。私の場合には、それプラス大学時代の奨学金返済も月々ありました。
せっかく仕事をするのなら、少しでもブライダル業界に関わりそうな仕事をと考えた時に、ちょうど良いタイミングでジュエリーショップの販売の派遣に就くことができました。昼はジュエリー販売、夜はファストフード店でのアルバイト、時には街頭でのティッシュ配りやスーパーでの試食販売など、そんな多忙な生活が約5ヶ月間続きました。専門学校は、週1回決まった曜日でしたので、その日を除き、本当にガムシャラに働きまくっていましたね。

専門学校は、約半年間でしたので、吸収出来るものは全て吸収しようと必死でした。有難いことに10月の卒業とほぼ同時に、埼玉のゲストハウスに就職が決まりました。その瞬間、諦めないでやってきて良かったとそれまでの頑張りが全て報われた思いでした。そこから、念願だった私のブライダル業界での仕事がスタートした訳です。

次回のコラムでは、『私の履歴書vol.4~ウェディングプランナーが大切にする3つのこと~』をお話しします。お楽しみに。


PROFILE
山本 優貴Yuki Yamamoto 山本 優貴

ゲストハウスやプロデュース会社のウエディングプランナー及び責任者、その後に婚礼システム会社での法人営業を経てフリーランスに転身。
現在は、ブライダル系専門学校での講師やセミナー講師、また式場にて経営管理サポートや自身もフリープランナーとして大好きな結婚式に携わっている。
仕事をする中で、2度の産休・育休を経験し、「ママでも諦めない!」をモットーに、大好きなブライダルの仕事と子育てを上手く両立できるよう、業界内の働き方の多様性を目指し、日々奮闘中!

2014年度 BIA主催ザ マスターオブブライダルコーディネーターコンテストにおいて見事グランプリ獲得。

※全国のブライダル業界に従事する方々から、知識・経験・品格を兼ね備えたコーディネーターを選出するコンテスト