COLUMN#10
私の履歴書vol.2~就活難!まさかの転職から学んだこと~
前回のコラムでは、私がウエディングプランナーに興味を持ったキッカケをご紹介しました。さて、そこからどんな選択をしてきたのでしょうか。今回は、その先のお話をしていきたいと思います。
さぁ、ドラマに多大な影響を受けた私はというと、教育実習に行けば取れたはずの教員免許取得を、4年の始めに自らの意思で辞退。『二兎追うもの一兎をも得ず』ということわざを信じ、就活の的はウエディングプランナー1本に絞りました。
ただ、当時は就職氷河期。しかも、ブライダル業界においては、新卒でのウエディングプランナー採用枠は、思っていた以上に狭き門だということもわかってきました。
プランナー以外にも範囲を広げて、数十社で就職活動をしたもののブライダル業界は全敗。私の初めての就職は、思いもかけず飲食業界の大手企業となりました。その企業からしか内定をいただけなかったからです。しかも、決まったのは大学4年、なんと卒業間近の2月でした。それが今から約15年前の話です。
4月になり、早速、新卒者の合同研修合宿がありました。就職したものの、私の心の中のモヤモヤは、なかなか消えてくれません。
入社後、いつも考えていたのは、今の仕事のことではなく、憧れだった結婚式の仕事のこと。私より先にウエディングプランナーになった見たこともない誰かに嫉妬し、少しでも早く追い付きたいと、そればかり考えていました。頭からそのことが離れませんでした。
でも、仕事は待ってはくれません。数日経ち、埼玉にある店舗に配属されました。せっかく入ったからには、3年はこの会社で働こうと決意するも、本当にこれで良いのかと毎日モヤモヤ。
ある日、そんなことを考えていたのか、いないのか、仕事中に腕に火傷。それが私にとっては、ショックでたまりませんでした。
きっと好きな仕事ならば、「このくらいのこと」と思えるんだろうなと、客観的に自分の気持ちを考えました。この出来事に背中を押された形で、私は退職を決意。それもまだ入社後、15日のこと。親に話したら反対されるに決まっていたので何の相談もしませんでした。同時に、ブライダルの専門学校に話を聞きに行き、その場で入学を決め、生まれて初めてローンを組んだことは、忘れもしない思い出です。
もちろん、時に相談は必要だと思いますが、自分で決め、決めたことに対してはしっかりと責任を持つということを学びました。
「自分で決断したこと」=「今後の自信」に繋がったのかなとも思います。
親には、全て決まってからの事後報告。とても心配を掛けているのは、その当時でも感じていました。だからこそ、必ずウエディングプランナーになって、親を安心させたいという強い決心が生まれたのも、この時でした。
就活をしている学生たちに、私の一連のこの話をすると、かなり驚かれますが、なぜか励みにもなるようです。こんな人でも、なんとかやっていけるんだ、じゃ、大丈夫かも、と。(笑)
さて、そこからは、突っ走って早々に決めてしまった専門学校に4月末に入学。
それと同時に、仕事はまさかの1か月で退職。お恥ずかしながら、私は、内定を社内で一番遅くに出してもらって、一番早くに辞めた人でもありました。当時の店長や教育担当の方には、本当にご迷惑をお掛けしたかと思います。でも、快く送り出してくださったことは、未だに忘れもしません。ご迷惑をお掛けしたことは間違いないのに、そのように送り出してくださったこと、本当に感謝しかありません。
今の自分をつくってくれているものは、過去の自分ですものね。このことを今、身に染みて感じています。
次回のコラムでは、『私の履歴書vol.3~憧れ続けたブライダル業界へ!ゲストハウスへの就職~』をお話しします。お楽しみに。
- PROFILE
- 山本 優貴Yuki Yamamoto
ゲストハウスやプロデュース会社のウエディングプランナー及び責任者、その後に婚礼システム会社での法人営業を経てフリーランスに転身。
現在は、ブライダル系専門学校での講師やセミナー講師、また式場にて経営管理サポートや自身もフリープランナーとして大好きな結婚式に携わっている。
仕事をする中で、2度の産休・育休を経験し、「ママでも諦めない!」をモットーに、大好きなブライダルの仕事と子育てを上手く両立できるよう、業界内の働き方の多様性を目指し、日々奮闘中!
2014年度 BIA主催ザ マスターオブブライダルコーディネーターコンテスト※において見事グランプリ獲得。
※全国のブライダル業界に従事する方々から、知識・経験・品格を兼ね備えたコーディネーターを選出するコンテスト