目次
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  1. 1. 縄文時代
  2. 1. 土器という調理道具登場
  3. 2. 稲作も開始
  4. 2. 弥生時代
  5. 3. 飛鳥・奈良時代
  6. 4. 平安時代
  7. 5. 鎌倉時代
  8. 6. 室町・戦国・安土桃山時代
  9. 7. 江戸時代
  10. 8. 明治・大正・昭和時代
  11. 1. 西洋料理の普及
  12. 2. 家電・輸送の発展、新しい展開
  13. 9. 平成時代
  14. 10. まとめ

 

ユネスコ無形文化遺産にも登録され、「ヘルシーフード」として海外でも人気の高い和食。

私たちが現在日常的に口にしている和食は、どのように誕生したのかご存じですか?

 

外国人の方と会話をする際に、日本の和食についての話題があがることもあるでしょう。

普段日本にいる際にはあまり深くは考えないかもしれませんが、日本の食文化について理解を深め、和食に関する正しい知識・教養を広げることで、外国人の方とのコミュニケーションの幅も広がります。

 

ここでは、「日本の食」をテーマに、日本の歴史や時代をたどりながら、和食の歴史について解説していきます。

 

 

縄文時代

 

氷河期の影響で気温がまだ低く植物性食料の確保が難しかった頃、日本人はマンモスやオオツノジカといった大型獣を食料にしていたと考えられています。

温暖化が進み海面が上昇すると、植物の生育状況も変化し、ドングリに代表される木の実が食べられるようになりました。

 

土器という調理道具登場

食料の供給が安定して時間的な余裕ができると、道具が誕生します。

土器が作られ、加熱による料理は人々の味覚を変え、食べられるものの範囲もグッと広がり、食料の保存という概念も誕生しました。

また、縄文遺跡には食べ終わった貝殻が積もった貝塚があり、豊富な貝類を土器で調理して食べていたことがわかっています。

加熱による貝の旨味、縄文人はすでに味わっていたようです。

 

稲作も開始

この縄文時代の後期には、農耕が開始され、一部では水田による稲作も始まったと考えられています。

ただし、米はあくまでも狩猟で不足する分を補うという位置付けだったようです。

 

 

弥生時代

 

水田稲作が発展し、お米を主食としておかずを食べる食文化が本格的に始まります。

弥生時代の遺跡から推測される当時のおかずは、貝や魚、鳥獣、山菜・キノコなどで、その他にも、桃・柿といった果実も食べていたようです。

この頃から魚の生食、すなわち刺身を食べていたということが中国の歴史書「魏志倭人伝」に残っています。

 

 

飛鳥・奈良時代

 

675年 に天武天皇により「肉食禁止令」が発布され、この禁止令は、およそ1,200年後の1871年(明治4年)まで続きました。

この約1,200年という長きにわたる禁止令下の食文化により、動物性たんぱく質は魚から、植物性たんぱく質は大豆と米からという、世界でも飛び抜けて健康的な食文化が形成されることになります。

また、魚や植物性食材だけでは物足りない面を「だし」という工夫で補い、これが和食文化の発展に大きく貢献しました。

料理の見た目の美しさへのこだわりも、この頃から強くなっていったようです。

 

 

平安時代

 

貴族文化華やかな頃で、公家が客人をもてなす料理様式「大饗(だいきょう)料理」が発展します。

これは、中国の食文化の影響を大きく受けた様式です。

 

 

鎌倉時代

 

鎌倉幕府を開いた源頼朝は公家貴族に見たれた贅沢を嫌っていたため、平安時代とは一転して「質素倹約」な時代を迎えます。

禅宗が伝来し、僧侶によって植物性素材だけを使った精進料理が広まるのはこの時代です。

 

 

室町・戦国・安土桃山時代

 

室町時代には、武士が客人をもてなす様式「本膳料理」が登場。これは作法が非常に厳しいものでした。

平安時代の大饗料理は中国の影響が大きいものでしたが、本膳料理は日本式の儀式料理の完成形と言えるでしょう。

昆布・鰹節によるだしの使用が始まり、料理は一層奥深いものとなります。

 

安土桃山時代には千利休によって茶道が確立し、そこで懐石料理が誕生しました。

本膳料理のように作法にしばられず、お茶を楽しむ前に料理を楽しむこころみが、懐石料理の誕生へとつながりました。

 

 

江戸時代

 

全国の流通網が整い、食料は手に入りやすくなり、飲食を楽しむ料理屋が登場、発展します。

千利休の茶道において誕生した「懐石料理」から、茶の湯を切り離してお酒と食を楽しむ「会席料理」が料亭で提供されるようになったのも江戸時代です。

 

また、一部の特権階級だけに伝わっていた料理に関する知識・技術が一般にも公開され、数多くの料理に関する書物が出版されました。

現代に見られる1日3食の習慣はこの時代に定着します。

そば、てんぷら、うなぎ、にぎり寿司という今も大人気の料理がおおいに好まれ、しっかり根付いたのもこの時代です。

 

 

明治・大正・昭和時代

 

江戸時代が終了した後、和食はどのような歴史をたどったのでしょうか。

 

西洋料理の普及

幕末から明治維新の頃、港町を中心に西洋料理屋が登場し、肉食が本格的に再開されました。文明開化期には西洋ブームとも言える風潮があり、牛鍋、今のすき焼きのような料理が流行します。

明治末期から西洋由来の野菜も八百屋の店先に並ぶようになり、食生活の西洋化が進行。

大正期にはサラリーマンが登場し、彼らを中心にカレー・コロッケ・トンカツという現代でも大人気の三大洋食が流行します。

 

牛鍋も三大洋食も、海外から流入した食文化を和食化して受け入れているところが大きな特徴でしょう。

これら日本食をベースとした洗練された和洋折衷料理は、この時期大きく進化をとげます。

 

家電・輸送の発展、新しい展開

第二次世界大戦時の「贅沢は敵」という流れの中、深刻な食料不足もあり、和食文化は一旦衰退をすることになります。

昭和30年代高度成長期には、低温輸送、冷蔵庫の普及が進み、新鮮な肉・魚・野菜はもちろん、肉加工品・乳製品が一気に手に入るようになります。

ガスが普及し、火力の必要な調理も広まりました。

昭和の時代にはインスタント食品・ファミリーレストラン・コンビニエンスストアが登場し、和食は新たな展開を見せ、今に続きます。

 

 

平成時代

 

和食は世界的にも注目を浴び、2013年 「和食;日本の伝統的な食文化」がユネスコ無形文化遺産にも登録されました。

 

まとめ

和食の歴史をふり返ると、肉食の禁止によって発展したことがよくわかります。

肉以外の素材で食を構成することによって、世界的に見ても非常にヘルシーな和食文化が花開いたのです。

また、日本の食文化は、海外のものを取り入れるときでも、しっかり和食テイストにするのが大きな特徴と言えるでしょう。

ユネスコの無形文化遺産にも登録された日本が誇る和食。その和食の発展・歴史に関して、しっかり理解しておきましょう。