目次
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  1. 1. 日本の花見はいつ始まった?花見の由来を知ろう
  2. 1. ◇花見の起源は奈良時代?
  3. 2. ◇桜を見るようになったのは平安時代以降
  4. 3. ◇貴族だけでなく、農民も花見をしていた
  5. 2. 現代までの花見の変遷
  6. 1. ◇鎌倉時代~安土桃山時代の花見
  7. 2. ◇江戸時代の花見
  8. 3. ◇明治以降の花見
  9. 4. ◇全国に広まった桜は花見時期もことなる
  10. 3. まとめ

 

四季折々の自然が見られる日本で、特に春を感じる行事として親しまれている「お花見」。近年では、桜のシーズンに花見を目的に来日する外国人観光客も増えてきています。毎年花見を楽しんでいる人でも、花見の由来や起源について説明できる人は少ないのではないでしょうか。

ここでは、日本の花見の由来や起源、現代までの変遷などについて解説しています。日本の歴史を紐解きながら花見の由来を理解することで、「お花見」の趣きが一層深くなることでしょう。

日本の花見はいつ始まった?花見の由来を知ろう

 

日本の花見はいつ、どのように始まったのでしょうか。その起源や由来について解説します。

◇花見の起源は奈良時代?

花見の起源は諸説がありますが、時代をさかのぼると、奈良時代には貴族が梅を好み、花鑑賞をしていたようです。

現代では花見と言えば桜を指しますが、当時は中国から伝来した梅の花が主流だったのです。これは、決して桜が好まれていなかったわけではなく、当時の日本人にとって桜が神聖な木として扱われていたためです。

実際、「万葉集」には桜を詠んだ歌も残されており、古代神話以前から桜は神の宿る木として信仰の対象ともなっています。

◇桜を見るようになったのは平安時代以降

平安時代に入ると、貴族たちは次第に桜を春の花の代表格として愛でるようになります。これには、894年の遣唐使廃止が一つのきっかけになったとも考えられます。遣唐使廃止を機に日本人は、中国から伝来した梅ではなく、日本古来の桜に対して、より親しみを感じるようになったのかもしれません。

桜の下で宴を開催している宮中の様子は、平安時代中期の名作「源氏物語」にも記されており、平安時代前期に編まれた「古今和歌集」でも、春の歌として桜を詠んだ歌がとても多く残されています。

当時の貴族たちにとって、桜が「春を象徴する花」としてイメージされるようになっていることがうかがわれます。

◇貴族だけでなく、農民も花見をしていた

貴族たちは桜を鑑賞して楽しむ目的で花見をおこなっていましたが、農民はまたことなる目的で花見をしていたといわれています。

春の到来は農民にとって田畑を育てる始まりの季節であり、春の訪れを告げる花が咲くと、厄を祓(はら)う宗教的意味とともに花が愛でられていたのです。花を愛でる行事は祭事として期日が決められ、その日になると野や山へ出かけて花を愛でる「野遊び」や「山遊び」がおこなわれていました。そのなかには桜の木もあり、その下で楽しむことで、神と過ごし五穀豊穣を願ったのかもしれません。

現代のような、純粋な楽しみとしての花見が庶民に広まったのは、江戸時代以降からだといわれています。

現代までの花見の変遷

 

次に、鎌倉時代から現代まで、花見の変遷について順を追って見てみましょう。

◇鎌倉時代~安土桃山時代の花見

平安時代までは貴族の楽しみであった花見も、鎌倉時代に入ると徐々にあらゆる階層に広まっていくこととなります。武士や町人も桜を楽しむようになり、京都では山や寺社などにも桜が植えられたのもこの頃であるといわれています。

安土桃山時代には、武士たちが外へ出かけて花見をするようになります。特に豊臣秀吉がおこなった「醍醐の花見」や「吉野の花見」は有名で、吉野にはおよそ5,000人、醍醐寺には1,000人以上が参加したのだとか。徳川家康や前田利家など、当時の名将たちも集まり、盛大な宴であったようです。

◇江戸時代の花見

江戸時代以降になると、花見は庶民の楽しみとしても、広く浸透するようになります。江戸時代の後期に、オオシマサクラとエドヒガンを改良した「吉野桜」が誕生しました。この吉野桜は、現在の東京都豊島区にあった「染井村」で、植木職人の手によって作られたといわれており、奈良県にある吉野の山桜と区別するため、のちに「ソメイヨシノ」と呼ばれるようになったのが、現在のソメイヨシノの始まりとされています。

こうした桜の交配や改良は江戸末期までに盛んにおこなわれるようになり、この頃にできた桜の種類は250~300種にもなっていたようです。

◇明治以降の花見

明治時代以降になると、日清戦争や日露戦争の影響により、武家屋敷や貴族が所有していた庭園は次々と取り壊されてしまいます。屋敷や庭に植えられていた桜も燃料として燃やされることとなり、江戸時代に作られた多くの桜の品種は一時激減することとなりました。

この事態を憂いた高木孫右衛門という植木職人が残った桜を集め、自宅の庭に植え替え保存しました。その桜の数は、実に80種類以上であったといわれています。

駒込の植木職人だった孫右衛門の命により、1886年に荒川堤に桜並木が作られることとなりました。荒川の桜並木は、1910年頃には花見の新たな名所として、庶民の間に定着していきます。

こうした植木職人の尽力によって残された桜はその後全国各地へ広まり、各研究施設などで品種改良がおこなわれ、現在に至っています。

◇全国に広まった桜は花見時期もことなる

京都や江戸の都で楽しまれていた桜が全国に広まったことにより、現在では地域によって花見のシーズンが微妙にことなります。地域ごとのおおよその開花時期は以下の通りです。

北海道:4月後半頃

東北地方:4月前半頃

それ以外の地域:3月後半頃(沖縄のみ2月前半頃より開花)

 

花見で地元の桜を見るのもよいですが、春は行楽シーズンでもあります。さまざまな地域の桜を巡り、旅先で花見を楽しんでみるのもおすすめです。桜や花見についての歴史を理解して桜を眺めると、昔の日本へタイムスリップしたような気分が味わえるかもしれません。

 

まとめ

 

今では全国各地で楽しまれている花見も、起源は奈良時代以前までさかのぼり、花も桜以外に、梅や春の花を愛でていました。貴族の楽しみとして、または農民の五穀豊穣を願う宗教的な祭事として花見がおこなわれながら、江戸時代には多くの桜が改良されます。そして明治以降には戦火をくぐり抜けつつ、植木職人や研究者などの手によって、全国各地へ桜並木が広がっていき、今では北海道から沖縄まで桜が楽しめるようになっています。

日本の都から全国へ広まった桜の花見は世界にも知られることとなり、海外から花見に訪れる人も年々増えてきています。桜の美しさだけでなく、桜に対する日本人の思いや花見の歴史についても、外国の方にも知ってもらえるといいですね。