観光や貿易、英会話の留学先、また日本での外国人労働者としても関わりの深いフィリピンですが、その歴史について詳しく理解している人は少ないのではないでしょうか。
ここでは、フィリピンの歴史について、特に大航海時代からに焦点をあて、わかりやすく解説していきます。ざっと読むだけでフィリピンの近代史がわかるため、フィリピンの文化を歴史から理解する際の参考にしてみてください。
スペインによる統治時代
フィリピン史上の大きな出来事の一つに、大航海時代を経てスペイン統治時代が始まったことが挙げられます。以下では当時のフィリピンについて、ポイントを絞って解説します。
マゼランによって動いたフィリピンの歴史
16世紀の大航海時代、フィリピンはマゼランというポルトガル人が率いた一行によって発見されることとなります。現在はビーチリゾートとして有名なセブ島に到着したマゼラン一行は、当時のフィリピンへスペイン王への服従とキリスト教改宗を迫りました。
マゼランの東方進出は香辛料をもとめての旅であったといわれており、インドネシアのモルッカ諸島を探している際にフィリピンを発見したといわれています。
ここから、フィリピンの歴史は長い統治時代へと、大きく舵を切ることになります。
ラプラプ王による反抗
マゼランによる改宗とスペインへの服従要求は、多くのフィリピン人にとって受け入れられないものでした。中でも当時マクタン島の首長であったラプラプ王が反抗し戦った「マクタン島の戦い」はフィリピン史にも残る有名な事件です。後にフィリピンはスペインの領土になってしまうものの、マクタン島の戦いではラプラプ王がマゼランの艦隊と戦い、勝利を収めています。
ラプラプ王は東南アジアではじめてヨーロッパからの征服に反抗した王として、現在もフィリピン国内で英雄視されており、マクタン島にはラプラプ王の像が今も残されています。
しかし、マクタン島の戦いもむなしく、後のサラゴサ条約によってスペインによるフィリピン統治が始まることとなるのです。
アメリカによる統治時代
スペインによるフィリピン統治は300年以上も続きましたが、その後アメリカの介入によってアメリカ統治が始まることとなります。
当初アメリカはフィリピンの独立支援を掲げ、19世紀末頃にスペインと戦って勝利します。これによってフィリピンは独立宣言をおこない、初代大統領も誕生したものの、一転アメリカがフィリピンの統治権を奪ったことから、今度はアメリカの統治を受けることになったのです。
スペインとの戦争後に制定されたパリ条約では、アメリカがスペインに2000万ドルを支払うことでフィリピンの統治権を譲渡された事実もあるとされており、はじめからアメリカの植民地となる運命であった戦いだともいわれています。
日本による統治時代
フィリピンがアメリカ統治下にある状態で第二次世界大戦が始まり、今度は日本がフィリピンを統治することとなります。
第二次世界大戦中、日本軍はアメリカ領であるフィリピンを一時的に占領しました。この時期はフィリピンに限らず、多くの東南アジアの国々が日本軍によって占領されています。
その後日本が敗戦したことで第二次大戦は終戦し、日本軍もフィリピンから撤退しました。戦場となったマニラでは多くの犠牲者を出すこととなりましたが、日本軍の撤退により、フィリピンは晴れて独立することになります。
しかし、フィリピンの独立はまだまだ順調には進まず、1980年代頃まで独裁が続くこととなるのです。
独立と民主化を果たしたフィリピンの歴史
スペイン、アメリカ、日本の統治を経て、第二次大戦後に独立を果たしたフィリピンですが、マルコスの独裁によってフィリピン国内はその後も大きく揺れることになります。
独裁といわれたマルコス政権
フィリピンの独立後、1965年に就任したマルコス大統領の政権は、事実上の独裁であったといわれています。マルコス政権下では多くの人々が拷問や投獄され、植民地時代と変わらないほど苦しめられた人も多く存在しています。
しかし、その一方でマルコスはフィリピンへ外資を流入させ、フィリピン経済を急成長させた側面もあり、人によって意見が分かれるところでもあるようです。
マルコス政権下の政治家は腐敗が進み、マルコス自身も国民を犠牲にして私腹を肥やしたと糾弾の対象となりました。特に妻であるイメルダ婦人の高価な靴や装飾品の数々は有名で、当時は国家財産を私物化している証拠だといわれていました。
独裁政権の終焉と民主化
マルコスは20年の間に再選を重ね、政治の腐敗や財産の私物化、国民の弾圧といった状況に反発が強まっていきました。最終的には、マルコス夫妻は亡命へと追い込まれ、1986年にアキノ大統領が就任。現在の民主化されたフィリピンへの道を歩むことになるのです。
現在のフィリピン
現在のフィリピンはドゥテルテ大統領の麻薬犯罪取締強化によって、一時期に比べると治安も大分良くなってきています。ドゥテルテ大統領も「フィリピンのトランプ」といわれることもあるほど、強引な政治手法や暗殺疑惑といった側面が問題視されることもありますが、2019年の支持率は77%を超えており、貧富の格差といった問題を抱えながらも、国民はおおむね満足していることがわかります。
現在のフィリピンは麻薬や犯罪といったイメージよりも、英語の語学留学先や、リゾート地として好まれる傾向にあり、今後東南アジアの成長を担う重要な国の一つとして期待されています。
まとめ
以上のように、フィリピンは大航海時代にマゼランから発見されたことをきっかけに、戦争のたびにスペイン統治からアメリカ統治、日本統治へと変わっていった植民地化の歴史を持っています。独立後もマルコス政権による独裁が続き、国際社会から遅れを取る原因ともなりましたが、1986年以降からは民主化の道を進み、治安やイメージも改善されつつあります。今日では、リゾート地として人気のフィリピンですが、歴史を知ることでより深くフィリピンへの理解を深めていただければ幸いです。