目次
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  1. 1. インドネシアの教壇に立ち、日本語教育に楽しさにハマり、日本語教師を志す
  2. 2. 日本語教師の資格を取得し、再びインドネシアへ!介護福祉士・看護師に日本語を教える
  3. 3. 「日本語を教える」から「日本で安心して暮らせる仕組みづくり」へ
  4. 4. ハワイでさらに経験を積み、これからは日本で外国につながる子どもの教育に関わりたい

今回、ヒューマンアカデミー新宿南口校にて「日本語教師養成講座」を修了し、日本語教師として国内外で活躍されている庭山恵太さんに、日本語教師を目指した経緯とこれまでの経験についてお伺いしました。(2025年7月取材)

 

■Profile

庭山恵太さん 34歳/男性

インドネシアで国際交流基金「日本語パートナーズ」プログラムに参加したことを契機に、日本語教師を志す。2017年に帰国後、働きながらヒューマンアカデミーに通い、日本語教師の資格を取得。その後、インドネシア人の介護福祉士・看護師の訪日前日本語教育や、横浜市国際交流協会で地域住民への日本語教育支援などに従事。2023年7月から2年間、国際交流基金による米国若手日本語教師派遣プログラム(J-LEAP)に参加。ハワイで高校生を対象に、日本語の授業をアシスタントとして行った。

インドネシアの教壇に立ち、日本語教育に楽しさにハマり、日本語教師を志す

―日本語教師を目指したきっかけを教えてください。

私は大学生のとき、2週間、インドネシアバリ島の孤児院でボランティアを経験しました。これがきっかけでインドネシアの教育に興味を持ち、大学院を修了後に、国際交流基金のおこなう「日本語パートナーズ」に参加し、約8ヶ月間、インドネシアの高校で日本語のアシスタント教師として教壇に立ちました。そこで日本語教育の面白さを知り、資格を取りたいと思ったのです。

 

―ヒューマンアカデミーを選んだ決め手や、日本語教師養成講座でよかった点を教えてください。

インドネシアから帰国後は働きながら、通学で講座を受講しました。平日は職場から近い大宮校に、休日は自宅に近い新宿校に通ったのですが、ヒューマンアカデミーは校舎がたくさんあり、通いやすかったですね。

幸いにも養成講座が修了して、すぐに日本語教育能力試験に合格できました。忙しくて、あまり試験勉強ができなかったのですが、授業に集中し、帰りの電車で復習だけは欠かさずやっていました。それだけで合格できたのは、ヒューマンアカデミーのカリキュラムがしっかりしていて、講師の先生方がわかりやすく教えてくださったおかげだと思います。

日本語教師の資格を取得し、再びインドネシアへ!介護福祉士・看護師に日本語を教える

―日本語教師の資格取得後は、どのようなお仕事を経験されたのですか?

ヒューマンアカデミーに紹介していただいた日本語学校で約半年間、勤務しました。どう日本語学校の仕事を探していいかわからなかったときに、助けていただいたことをよく覚えています。2019年11月から国際交流基金の派遣で、インドネシア人の訪日前の介護福祉士・看護師の日本語教育に携わりました。日本に行くことが決まっている人たちに、介護や看護など命に関わる立場の人に日本語を教える仕事なので、プレッシャーも感じましたが、その分、やりがいも感じました。また、明るい学習者が多く、楽しく教えていました。

 

ー訪日前ということは、また大好きなインドネシアで教えていたんですよね。

おっしゃるとおり、派遣当初はジャカルタで教えていました。ただ、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、帰国することになって。その後は、日本からオンラインで授業を行いました。オンラインで教えることに慣れず、教えられているか心配でした。でも、その後、オンラインで教えていて、対面では会ったことがなかった学習者と日本のインドネシア料理店で偶然再会し、日本語も上手になっているし、介護士として夜勤もこなしていると聞き、すごく嬉しかったです。そんな風に、学習者の成長を感じられることが、日本語教師の仕事のやりがいの一つだと思いますね。

「日本語を教える」から「日本で安心して暮らせる仕組みづくり」へ

―オンラインでインドネシア人の介護福祉士・看護師に日本語を教えた後、どんなお仕事をされていましたか?

2022年5月から約1年間、横浜市国際交流協会に勤務しました。元々、子どもが好きだったので、子どもの日本語教育に関わりたいと思い、そういった教育の盛んな横浜で、働くことに決めました。ここでは「日本語学習コーディネーター」として、子どもだけでなく、幅広い年代の外国につながる市民やその支援者の支援をしていました。今までのような外国につながる方に「日本語を教える」のでなく、「日本で安心して暮らせる仕組みづくり」ですね。

―具体的にはどんな仕事ですか。

例えば、私の担当業務であった日本語教室では、私は教えず、教室案内のチラシの作成や学習者や日本語を教えるサポーターの募集をしていました。印象深かった業務は、外国につながる親子への親子ヨガです。「やさしい日本語」で親子ヨガをし、その後に親子のための地域のサービスなどを紹介しました。参加者を集めるのが大変でしたが、結果的に10組以上の親子が参加してくれました。子どもが小さいときから親御さんが地域とつながり、安心して横浜で子育てをしてもらいたいと思っていたので、企画を作るだけでなく、届けるところまでできて、本当によかったです。

ハワイでさらに経験を積み、これからは日本で外国につながる子どもの教育に関わりたい

―2023年から約2年間、ハワイに滞在されていたそうですね。

はい。国際交流基金の米国若手日本語教員(J-LEAP)に応募し、ハワイの高校でアシスタントとして、現地の日本語教師と一緒に日本語クラスを受け持ちました。今年の6月に日本に戻ってきました。

―なぜ、ハワイに行こうと思ったのですか?

コロナも落ち着き、もう一度、海外で日本語教育をしたいと気持ちと、今までともっと違う場所、アジア以外で経験を積みたいと考えたからです。そこで、アメリカで教壇に立てるJ-LEAPに応募したのです。派遣中は通常の授業に加え、日本文化のサマースクールに参加したり、アメリカ全土の15校以上の学校を見学し、学びを深めることができました。ハワイは日本語教育が盛んで、幼稚園の日本語クラスや継承語としての日本語クラスを見ることもでき、また視野が広がりました。ちなみに、ハワイ派遣になったのはたまたまです。

 

―日本語教師になってよかったと思うのは、どんなことですか?

学習者と接して、いろいろな文化にふれ、自分の興味が広がり、人生が楽しくなったと思います。例えば、インドネシアは島や地域で文化も違うので、今まで行ったことのないところに行くたびに発見があって、本当に面白いです。インドネシアは方言もたくさんあって、タクシーで運転手からその地域の方言を収集するのが一個の楽しみです。

ハワイでは、フラダンスを見るのにはまりました。本場はやっぱり迫力があって、派遣校のフラダンスコンサートはすごかったですね。生徒たちがかっこよく、優雅で本当に素敵でした。

でも、一番はやっぱり学習者の成長を近くで見たり、一緒に喜べることですね。

 

―今後の目標について、教えてください。

これからは日本の学校教育の現場で、外国につながる子どもに日本語を教えたいと思っています。日本語教育にいろいろな形で関わってきました。それぞれ違った面白さがありましたが、やっぱり自分は子どもの成長に関わり、貢献いきたいですね。

 

―これから日本語教師になる方にメッセージをお願いします。

日本語教育といっても「誰に」「どこで」「どんな」日本語教育をおこなうかは十人十色です。ヒューマンアカデミーでも様々な経験をしている講師の方や受講生の方がいると思うので、ぜひ自分色の日本語教育を探してもらえたらと思います。この記事がそのヒントになっていれば嬉しいです。

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