発話の合間にはさみこむ言葉のことをフィラーと言います。
日本語のフィラーには「あのー」「そのー」「ええとー」などありますが、今回はフィラーがもつ意味・役割について考えてみましょう。
文:志賀玲子 講師
夫の赴任地からの帰国をきっかけに専業主婦から日本語教師に。都内日本語学校にて数年間勤務後、大学院へ進学。大学院修了後、日本語教師養成講座講師、大学講師に。
現在、大学にて留学生教育の他、日本の学生への初年次教育及び日本語教授法等の科目を担当。
フィラーとは?
発話の合間にはさみこむ言葉
以前母と海外旅行に行ったときの話です。
母はお店の人と懸命に英語で会話をしていました。すると・・・英語をしゃべりながら、合間合間に「ええとー」や「うーんと」という音を挟んでいます・・・。
英語の中に日本語の単語が混ざるというようなことはないのですが、なぜか、英語のフレーズとフレーズの間に「ええと~」とか「うーんと」などが入る・・・明らかに次に言うべき言葉を探しているときに使っているようでした。一緒にいながらちょっと恥ずかしいような不思議な気がしたものです。(と言いつつ、私も同じようなことをしていたかもしれません。自分のことには大方気づかないものです・・・)
同じような現象が、中国人留学生との会話でも発見できました。その留学生は日本語で私と話をしているのですが、その合間合間に“那个( Nàgè )”とか“那个那个”という中国語が入るのです。
聞きなれていない人からすると「突然なぜ?」という感覚に陥ってしまいます。
そう言えば、大学時代、短期の語学留学でイギリスに滞在していたとき、現地で友だちになった日本人が、“Uh”や“well”をうまく使いこなせるようになりたいと言っていたことを思い出しました。その留学での達成目標だとまで明言していました。当時の私はそこまで高い意識をもっていなかったのですが、その友だちは、より自然に英語をしゃべるようになりたいという強い意欲をもっていたようです。
上のような「ええとー」、“那个”、“Uh”というような言葉を、「フィラー( filler)」と言います。
『コトバンク/デジタル大辞泉』
(https://kotobank.jp/word/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%A9%E3%83%BC-615605)
によると「発話の合間にはさみこむ言葉」だと説明されています。
日本語のフィラー
日本語のフィラーには、ほかにも「あのー」や「そのー」といったものがありますよね。
皆さんは、このフィラーというものについて、意識したことがありますか?
どのように捉えていらっしゃいますか?
ある会社では、プレゼンテーションをするときにできる限りフィラーを使わないようにという指導をしている、と聞きました。そのほうが洗練されて聞こえるからだそうです。フィラーが多いと、練習を怠っている、準備が足りない、という評価に結びつくこともあるとのことです。
確かに、頻繁に「あのー」「そのー」「ええとー」などが出てくると、話を聞きづらいと感じたり、何となく不安を覚えたりすることもあるかもしれませんね。
フィラーばかりに気をとられてしまい相手の話の内容が頭に入ってこなかったという経験が私にもあります。
一方、以前、こんな経験をして、新たな発見をし、驚いたことがあります。
ある講演会での話です。その講演者は全くよどみなく話を続けました。言葉がつまることもなく、そして言い間違えることもなく、さらにフィラーを口にすることもなかったのです。(使っていたかもしれませんが、少なくとも私にはほとんど検知できませんでした。)それはそれは素晴らしい講演でした。伝えるべきことが完璧に頭の中に入っており、「思い出す」とか「言葉を探す」ということを聴衆に全く感じさせることなく、流れるように言葉を紡ぎ、持ち時間を終えたのです。「こんな人がいるんだ!」と驚き、感動しました。
ところが、不思議なことに、なぜだかよくわからないのですが少々違和感を覚えたのも事実なのです。素晴らしすぎると言ってもよいほどの完璧な講演を聞いたときのその違和感とは、一体なんなのでしょうか。
ここからは全くの私見です。
そのプレゼンテーションがあまりにも流れるように進み全く滞る部分がないので、まるで「ナレーション」のように私の耳に届いたからではないかと思うのです。つまり、人がその場で言葉を編み出していく際の「自然さ」がないように感じられたのではないか、ということです。
そこで私は、フィラーというのは言葉を紡ぎ出すときの人間に生じる働きとして極めて自然なものなのではないかと考えた次第です。
このような「不自然に感じるくらい完璧なプレゼンテーション」を聴いた経験は、実は後にも先にもそのとき1回きりなのですが・・・・。ある意味、いかに素晴らしい講演だったかと言うことができます。
コミュニケーションにおいての役割
言葉の検索をしている状況を知らせる
さて、フィラーというものは、あってもなくても特に伝える意味内容に影響を与えません。ですから、ときには「無駄だ」と捉えられ、無い方が洗練されているとされ、プレゼンテーションの際に使わないように、という指導がなされることもあるわけです。しかし、全くフィラーが無いと不自然に感じられることもあるということを考えると、話の中で発せられるフィラーというものは発せられるべくして発せられていると考えられるのでないでしょうか。
ある程度フィラーあったほうが、より素晴らしいプレゼンテーションとして聴こえるという話もあります。
では、実際のところ、このフィラーにはどのような意味、もしくは役割があるのでしょうか。
一般にはよく、次に発話するべきことを考える、言葉の検索をしている、などと言われています。そして、それを口にすることによって、自分が今時間を必要としている状況にあることを対話相手に知らせ、話の続きを待ってもらうことにつなげることができるとされます。
そうした作用があるのであれば、中国語を話しているときには中国語のフィラー、英語を話しているときには英語のフィラー、日本語を話しているときには日本語のフィラーを使ったほうが、相手にはメッセージが伝わりやすいということになります。それぞれの言葉のフィラーが適切に使えるようになることは、コミュニケーションをスムーズに行うために有効だと言えますよね。冒頭に示した3つの例は、このことを表していると言えるでしょう。
「ええと」と「あのー」の違いについて
さて、フィラーがもつ意味・役割について、もう少し詳しく見てみましょう。実際にフィラーを使う際、私たちはどうやら使い分けをしているようなのです。
例えば「ええと」と「あのー」の違いについて考えてみましょう。
皆さんご自身、どのような時に使うか思い出してみてください。
「ええと」を多用するとどのような印象を与えるでしょうか。少々幼い印象をあたえてしまうでしょうか。そういえば、子どもがよく使っているイメージがありますね。
私たちは、何か考える必要があったり頭の中で言葉を検索したりする必要があり、そのための時間を確保したいとき、「ええと」を使うと言われています。自分自身がしていること(考えたり検索したりしていること)を示すことにより、自分自身を集中させる働きもあるそうです。また、それにより、対話相手に対して「私は今考えていますから少し時間をください」というメッセージを伝えるということにもなります。いきなり黙ってしまうより、「ええと」というフィラーを使って相手に自分の状況を知らせたほうが、コミュニケーションを続ける意思を表明していて関係性構築にはよいとも言えますよね。
そして、「あのー」は、伝えたいことは既に頭の中にあって自分でもわかっているけれど、その名前が即座に思い浮かばず、思い出そうとしているときに出るもののようです。或いは、伝えたいことをどのように表現するか、その表現方法を探しているときに発せられるようです。「言語編集」とも言われます。
さらに、「あのー」と「そのー」はどうでしょうか。皆さんご自身はいかがですか。
実は、抽象的で複雑な話になると「そのー」が増えるということがわかっています。情報を誤って伝えたくない、適切な言葉を選びたい―――つまり、より慎重な言語編集が行われるときに「そのー」が使われるということのようです。そういえば、演説などでは「そのー」がよく使われそうですよね。自分を賢く見せるための演出としても有効なものなのかもしれません。
このように見てくると、フィラーは単に無駄で無意味なものではなく、コミュニケーションにおいての役割も果たしているようですね。
使いすぎは良い印象を与えないようですが、適切なフィラー使用は、自然で高い好感度に結びつく場合もありそうです。
皆さんご自身、どのようなときにどのようなフィラーを使っていらっしゃいますか。意味・役割をもつものとして、ちょっと観察してみるのもおもしろいかもしれません。
参考文献:
定延利之・田窪行則(1995)「談話における心的操作モニター機構―心的操作標識「ええと」と「あの(―)」」『言語研究』108,日本言語学会
堤良一(2008)「談話中に現れる間投詞アノ(―)・ソノ(―)の使い分けについて」『日本語科学』23,国立国語研究所