目次
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  1. 1. 大切なのは「なんとなく」来た学生たち
  2. 2. 学生は教師の経験談・失敗談ほど覚えている
  3. 3. 日本語教育は激変の時代。教師に必要なリテラシー
  4. 4. 日本語教員養成課程の受講者の多様化とは

現在、コロナ禍の影響で、多くの大学でオンデマンド形式の授業が行われています。「学生との双方向のやり取りができない」「授業の遊びの部分が盛り込めない」など教師として新たなジレンマを抱える中、改めて考える日本語教師としての役割と日本語教育の未来に必要なこととは。

後編をお届けいたします。前半はこちら

 

  • お話をお伺いした人
    日本語教員養成課程担当講師 長谷川賴子先生
  • 聞き手
    「にほんご日和」編集長 井上里鶴(いのうえ・りず)

 

 

<長谷川賴子先生>
大学日本語教員養成、留学生日本語教育に関わる。現在、千葉県の敬愛大学で日本語教員養成、また日本語教師養成講座や、文化庁の採択事業で中堅日本語教師対象の研修にも携わる。

 

 

<編集長 井上里鶴>
筑波大学大学院博士課程修了。博士(国際日本研究)。つくばにほんごサポート代表として日本語教育に携わる傍ら、大学非常勤講師も務める。
ヒューマンアカデミー日本語教師養成講座の理論科目(eラーニング)を担当。

 

大切なのは「なんとなく」来た学生たち

——対面の授業でしかできない教師の役割をどのように残していくか。学生の「言いたい時・発言したい時」を敏感に教師が読み取って、汲み取っていくっていうことですかね。

はい。この「くみ取る」ということについては、日本語教員養成課程を履修する中で、「修了を目指さない」学生が一定数いることも関係しています。

大学の場合、「興味はあるけど修了は目指さない」とか、「なんとなく履修した」という学生もいます。この点は、最初から日本語教師を目指して学ぶ養成講座とは、大きく違うところでしょう。

そういう受講者も含めての授業ですので、対面だからこそカバーできていた部分がありました。最初は、なんとなく取ったという学生でも、根気強く関わり、やりとりすることで、「前期だけのつもりで取ったけど、後期も取ることにした」と、つながることがしばしばあります。

 

——オンデマンドだと、教師と学生の双方向のやりとりだけでなく、学生同士で一緒にこの授業履修しようとか、お互いに切磋琢磨する場面が少ないかもしれません。そうなると、なんとなーく履修してみた人は、なんとなーくやめてしまうかもしれない。ここがオンラインの限界かもしれないですね。

はい、特に1年生の場合、事態は深刻だと思います。修了希望学生を対象にオンラインミーティングを計画しています。今、学生同士のつながりが、自然には全く作れない状況ですので、出会いのきっかけになればと思っています。

それから、普段、私は授業の中で、自分の経験談、たとえば失敗であったり、日本語の授業のこぼれ話などをよくするのですが、動画では、時間的な制約があってなかなか話せません。そういうところに関心を持って聞いていた学生もいると思うのですが。

学生は教師の経験談・失敗談ほど覚えている

——他の方の意見でも、オンラインになったことで、遊びの部分、余白の部分がやっぱり削ぎ落とされて行くと。講義としては、要点をしぼって質の良いものができている可能性はある。ただ、知識の部分じゃない教師の経験談って、学生は教師が思っている以上に覚えていることってありますよね。

そうなんです。よく卒業生に、「先生、あんなことがありましたよね」と言われることがありますが、ほとんどが雑談や失敗談です。そういうところは本当によく聞いてるなぁと思いますよね。

 

——そう考えると、大学の90分の中で「講義」の部分って1時間もなかったかもしれないですよね。プリントを配ったり、学生が隣同士で雑談するような時間も削ぎ落とされてしまって。

学生は今、本当にひたすら受け身です。画面と、プリントと、聞こえてくる音声と。その繰り返しだと思うので、本当に申し訳ないと思います。先日zoomで話した学生は、大学で友達と過ごす時間が早く戻ってきてほしいと言っていました。そう思っている学生は多いでしょうね。

 

——一方で、その学習スタイルが合っているという学生もおそらく一定数いると思います。対面で皆で一緒に受ける授業が好きだという学生もいますし、そのあたりを今後どうしていくかも課題ですよね。

その通りです。多くの学生が対面授業を求めている一方で、オンデマンド型だからこそ、落ち着いて学習し、力を発揮している学生もいます。

大学の方針や実現可能性、教員自身の技術や授業運営の力が大きく関わってくるので、両方のやり方を同時に取り入れれば済むという簡単な話ではなさそうです。教員が力を注ぐべきことは何なのか、考えさせられます。

日本語教育は激変の時代。教師に必要なリテラシー

——ところで、長谷川先生は文化庁の採択事業では、どのような研修を担当されていますか?

中堅の日本語教師の方への研修で、私が担当したのは、外国人施策と日本語教育施策に関する研修です。

ちょうど去年は、特定技能の新設や、日本語教育推進法の成立があったのですが、こういうことが日本語教育にどのような影響をもたらすか、教師一人ひとりにどのようなことが必要になってくるかを一緒に考えました。

「教える」ということだけを考えていると、なかなか施策という部分は、情報が入ってきません。しかし、日本語教育に影響のある施策が、現在進行形で次々と行われています。そこで、知識を学ぶというより、今、何が起きているかということにまず目を向けること、そのために、どこからどうやって情報を得て理解するか、教師自身が持つべきリテラシーについて検討しました。

 

——長谷川先生は、これから教師を目指す若い世代の人たち向けの日本語教師員の養成と、すでに日本語教師をされている方で経験や知識をブラッシュアップしたいという人を対象にした研修もされている、ということですね。

はい。文化庁は去年からですので、まだ経験は少ないですけれども。

 

日本語教員養成課程の受講者の多様化とは

——いろんな立場の方を対象に、日本語教育の世界を紹介していく、つないでいくという役割を担ってらっしゃると思うんですけれども、先生ご自身の今後の展望をお聞かせください。

はい。いま養成課程の受講者には、小中学校教員を目指す教職課程の学生もいます。「学校教育の現場で外国人児童生徒の日本語支援に取り組みたい」という強い意志を持っています。多くの教職課程の学生に、日本語教育への関心を持ってもらえることを願っています。

もう一つは、養成課程にも外国ルーツの学生が受講するケースが増えてきました。外国ルーツと言っても、一人ひとりは本当にそれぞれ違う人たちです。

日本国籍を持つ外国ルーツの修了生がかつて、「修了した時に自分は、日本人、日本語母語話者としての誇りを持てる。だから最後まで頑張る」と言ったことがあります。その学生がこれまで生きてきた中で、自分自身の大切な言葉、そして、日本語という言葉と、どれだけ向き合わざるを得なかったかということを強く感じ、私自身としては非常に複雑な気持ちになりました。

人それぞれではありますけれども、彼らの「言葉に対する思い」というものも、養成課程の中では大事にしていきたいと思っています。

今や、色々な人が、日本語教員養成科目で学んでいます。将来、彼らこそ日本語教育の最高の理解者、最高のサポーターになってくれる人たちだと信じ、大いに期待して、一緒に学びを続けていきたいと思います。

 

——私は、「なんとなく」日本語教員養成課程を履修する学生の話が印象的でした。そういう人に、日本語教育を取り巻く環境を、なんとなく知ってもらって、社会に巣立った時にいつか結びつく機会や経験になればいいなと思います。

そうですね。彼らが将来、社会人となったとき、外国人は共に働く仲間となりますし、もし子育てをするようになれば、子供を通じて外国人親子と接することもあるでしょう。学校教育の中で、同じ保護者の立場で関わる場面も出てきます。いずれ、地域社会で支え合う関係にもなると思います。

そう思うと、「なんとなく履修した」学生を、いかにその気にさせるか、ということが私のするべきことなのかもしれません。大学で日本語教育を理解して、いつか、自分にできる日本語支援に携わってくれる可能性がある、彼らのような存在こそ、大切にしていきたいと思っています。