なにが失敗でなにが成功か、
立ち上げた私が決めること。
だから、私には失敗なんてないんですよ。
プロになれる選手となれない選手の境目はなんだと思いますか?
「自分でリスクを負ってでも、
自分のやりたいことにチャレンジできるかどうか。
すなわち『決断』だと思います。」
河内敏光さんの人生の中心にあるのは、
ずっとバスケットボールでした。
心から愛するバスケットボールができなくなること、
それは自分の存在そのものを揺るがす大きな壁でした。
そしてなにより、日本のバスケットボールの未来を切り拓きたい。
河内さんが選んだ道は、誰も通ったことのない新しい道でした。
パイオニア精神。ひたすら前進する生き方がここにあります。
| 編集部 |
日本初のプロバスケットボールリーグとして、
bjリーグを立ち上げるまでの経緯を教えてください。
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| 河 内 |
私は中学、高校、大学とずっとバスケットボールをやってきました。
実業団では23年6ヵ月の間、
選手、監督としてお世話になりました。
しかし社会情勢の影響で、会社のバスケットボールチームが
休部を余儀なくされてしまったのです。
私にとってそれまでずっと、
ライフスタイルの中心はバスケットボールでした。
そしてこれからも、
バスケットボールをライフスタイルの中心にしていこうと、
そのとき決意したのです。
ちょうど退職しようとしているタイミングで、
新潟アルビレックスの当時の社長、
池田弘さんが「日本初のプロバスケットボール球団を
いっしょにやってくれないか」と声をかけてくださいました。 |
| 編集部 |
ご自身でいろいろと動いていたからこそ、
幸運が舞い込んだのでしょうね。
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| 河 内 |
そして、新潟に日本唯一のプロの球団が生まれました。
2000年からリーグ戦に参加して優勝も経験しましたが、
アマチュアリーグにいることの限界も感じていました。
世界中、もちろんアジアにおいても、
ほかの国々ではすでにプロリーグを立ち上げていました。
全日本の監督経験を通じて抱いていた、
「プロリーグをつくらなければ
国際舞台で、日本はますます勝てなくなる」
という危機感も、先に進むための大きな原動力になりました。
そこで地域に根ざしたチームを全国に生み出し、
バスケットボールのプロリーグをつくろうという構想が、
2003年に芽生えました。
プロ化に向けてのアクションを起こし、
2005年11月5日、6チームによるbjリーグが誕生したのです。
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| 編集部 |
パイオニア精神を河内さんから感じるのですが、
「誰も行ったことのない道を選ぶ」という気質は
昔から持たれていたのでしょうか。
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| 河 内 |
誰かがやったのと同じことをやると、
どうしても比較されて「うまくいっていないよ、失敗だね」と
第三者に評価されてしまいます。
でも、はじめてやることって比較対象がないじゃないですか(笑)。
bjリーグのなにが失敗でなにが成功か、
これは立ち上げた私が決めることですよね。
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| 編集部 |
自分がスタンダードになれるわけですね。
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| 河 内 |
そう。だから、私には失敗なんてないんですよ(笑)。
逆に言えば、二番煎じ、三番煎じの形で
始めなければならなかったとしたら、
怖くてやらなかったかもしれない。
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監督時代の河内さん
| 編集部 |
スポーツをプロ化することによって、
いちばん変わる点はなんでしょうか。
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| 河 内 |
「環境」です。
スポーツの世界は結果が重視され、
いい意味で「この試合に命をかけているかどうか」が問われます。
プロの世界は華やかですが、
結果が出なければほんとうに厳しいですよ。
選手も指導者もやっぱり勝たなければならない。
勝つために、世界的な指導者は
バスケットボールの情報を集めて研究します。
選手も最高のパフォーマンスを出すために、
自分の体の管理、栄養の管理をする。
それらのレベルはアマチュアとは圧倒的に違います。
高いレベルを維持するための環境が、
プロ化することで構築されるのです。
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| 編集部 |
バスケットボールの考え方は、
スポーツ以外の仕事にも応用できると思いますか。
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| 河 内 |
団体スポーツは、会社組織と共通した部分が多いと思います。
バスケットボールは5人対5人のスポーツですが、
国際試合では12人の選手がベンチに入ることができます。
しかし、エース級の選手を12人揃えれば勝てる
というものでもありません。
たとえ実際に試合には出なくても、
チームをうまくまとめるという仕事をまかされて
ベンチ入りする選手も必要です。
自分だけ成績がよくても、会社全体の利益は上がらない。
結局、自分の給料も上がらなくなるということはありますよね。
バスケットボールもまったくその通り。
「チームは負けたけど、自分は30点取ったからがんばった」
では通用しませんし、
そう考える選手は個人スポーツの道に進むべきだと思います。
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| 編集部 |
プロになれる選手となれない選手の境目はなんだと思いますか。
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| 河 内 |
自分でリスクを負ってでも、
自分のやりたいことにチャレンジできるかどうか。
すなわち「決断」だと思います。
大前提として才能は必要です。
しかし、どんなに素晴らしい才能を持っていても、
「自分はこれで生活していくんだ」という決断がなければ、
大成はできないでしょう。
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| 編集部 |
bjリーグを立ち上げたときに、
現在、つまり6年後にこうなるだろうと予測していたことと
違っている部分はありますか。
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| 河 内 |
予想外に難しかったのは、放映権料です。
どのスポーツビジネスでもそうなのですが、
放映権料が収入の根幹なんですね。
テレビはスポーツに対して、あまりお金をかけなくなってきました。
その部分の誤算は多少あったと思います。
予想外にうまくいったのは、チーム数の増加です。
6チームでスタートした当初の目標では、
5シーズン目に12チームにしようと考えていました。
プロ野球と同じチーム数にしようと。
ところが実際には、5シーズン目で13チームになっていました。
チームが予想を超えるスピードでどんどん増えていく。
これはほんとうにうれしい誤算です。
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| 編集部 |
日本におけるバスケットボールは、
残念ながら、まだマイナースポーツなのかもしれません。
そこでたとえば、女性ファンを増やす方法を
なにか考えていらっしゃいますか。
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| 河 内 |
日本の場合、最も有効な方法は「オリンピック」です。
ある種目がオリンピックに出場すると、
スター選手をマスコミがつくってくれます。
一気にその選手が注目を浴びて、
いろいろなテレビ番組にも出演するようになる。
結果として、その選手が試合をする会場に女性も集まってくれます。
また、日本バスケットボール協会と手を結び、
bjリーグからも全日本の選手が選ばれることになりました。
それによって全日本チームがより強く成長し、
将来的にアジア、そして世界の舞台で活躍できるようになれば、
日本のバスケットボールの状況は変わっていくでしょう。
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| 編集部 |
bjリーグの経営方針について教えてください。
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| 河 内 |
私たちは、地道に身の丈に合った経営をしてきました。
その結果として、今年はチーム数が16になって、
来年は20チームになります。
さらに今年は、アメリカのNBAでヘッドコーチを務めた方が、
東京のチームのヘッドコーチとしてはじめて就任しました。
アメリカの高校で活躍した19歳の選手も入団しました。
bjリーグで1年間プレーして、
うまくいけば来年、NBAのドラフトにかかるでしょう。
スポーツビジネスとは、ブランドビジネスです。
bjリーグにNBAのヘッドコーチが来た。NBAの卵が来た。
NBAからドラフトがかかった。
こうした話題づくりによって、
bjリーグの価値は一気に上がっていくでしょう。
そういった方向からも
積極的にアプローチしていきたいと考えています。
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大きな困難にぶつかったとき、
新しい道を拓いてくれるのは自分自身の決断だけ。
河内さんの言葉からは、経験にもとづく信念が伝わってきます。
後編「夢のかなえ方」へとお話はつづいていきます。
つづく